コミュニティ参加欲求みたいなものが、芽生えてきた?
2021.01.29
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ずっと「かまってもらえる」よりも「ほっといてもらえる」の方が快適な人生でした。ただ、今ほど人と交流しなくなると、自分の中のコミュニティ参加欲求の存在に気づくんですよね。もしかするとコロナ明け、行動に変化をもたらしてくれるかな? と。
人との交流がないなあ
気がつくと「今日は家から一歩も出なかったなあ」とか「しばらく誰ともちゃんとした会話をしていないぞ」みたいな日が増えてきています。
もともと僕はフリーランスのデザイナーでしたし、誰も雇わずに独りで黙々と作業をするスタイルでしたので、長いこと「リモートワーク」だったし「ステイホーム」ではあったのです。
(参考:人を雇わない会社を経営してきた理由)
それでも、仕事に関わっていたので、周囲のみんなとはメールやチャットときには電話でコミュニケーションを取り合っていたのです。
なので「オレはちゃんと社会の一員をやってるな」という実感はありました。
いま、新型コロナ禍のために「外出自粛」だったり「行動の制限」が要請されていて、そのせいで人と会えなかったり、イベントに参加できなかったりという世情です。
いろんな人々が、そこら中で社会参加できないストレスを抱えているようですね。
僕の場合はそれに加え、無職になって東京を去ったことで、かつての仲間たちと距離を取ったことによる影響も大です。
図らずも「自分にもそれなりのコミュニティ参加欲求みたいなものがあったんだな」ということに気付いています。
「かまってくれ」とか、「ほっといてくれ」とか
僕はもともと、独りで時間を忘れて何かに取り組むのが好きなのですよ。
家の中や周囲に他人の気配を感じるのが不快だったりします。
ノートパソコンを持ち出して、カフェや公園で作業とか、絶対に無理なタイプです。
このあたりに関しては過去に「ひとりの時間を持ちたい、と思える幸せ」なんて記事を投稿していますね。
ただ、仕事をするにしても、日常の生活を営むにしても、すべてを自分だけでまかなうわけにはいかないのです。
着てる服だって、こうしてブログを書いているPCだって、他人に作ってもらって、他人から売ってもらったものですしね。
なので、常に他人(=コミュニティ)の存在は意識せざるをえないのですよ。
それは「かまってくれ」だったり「ほっといてくれ」みたいな感情込みで向き合うことになるんですけどね。
人によって、どちらが多めとか、少なめってのはあるんでしょうね。
僕はおそらく「ほっといてくれ」が、他人と比べて少々多めな人生だったと思っています。
ですが「かまってくれ」が決してゼロってわけではないのです。
たまには、気の合う友人・知人と食事会でも開いて話を聞きたいし、自分の現状とか考えてることを話して反応を見たかったりもします。
好きな人と、互いにそう感じあってることを確認し合ったりしたいし、真面目な話をきっちりと語り合いたかったりもします。
「それほど多くは要らないよ…」ってだけで。
ただ、ここまで他人との交流が枯渇すると無性に「誰かと、だらだらと無意味な時間をすごしたいなあ」などと思うものなのですよね。
(参考:せっかく、何をやってもいい時間だらけなんだから)
生きてるだけで、コミュニティの一員なんだろうね
長らく「ひとりが気楽だし、効率的だし、心地いいなあ」と思いつつ、そういう時間を増やす方向で生きてきたつもりだったのですが、ちょっと違う気持ちが芽生えて来てるんですよね。
人って、生まれてから死ぬまで、ずっと何かしらのコミュニティの一員なんですよね。
思いついてみれば「そんなの当たり前じゃん。昔っから知ってるよ」なのではありますが、これまでさほど強く意識したことがなかったのですよ。
生まれた瞬間に「家族」っていうコミュニティに属します。同時に町内の一員になるし、自治体の人口にもカウントされるし。
恋人ができたら、二人っきりのコミュニティだし、職業を持つとコミュニティはどんどん大きくなっていきます。
ずっとデザイナーをしていた僕と、僕が作ったものを見て消費行動を起こしてくれた人は、同じコミュニティに属しているといっても構わないんじゃないかな?
もちろん「コミュニティ」というものは、良いものだけではなくて、いつも自分の仕事にケチを付けてくる人とか、「」なんだかコイツと会議で同席するの嫌だなあと感じる人々もたぶん、同じ「負のコミュニティ」みたいなものに属してるんでしょうね。
生きて普通に暮らしているだけで、どこかしらのコミュニティの一員なのですよ。
そして、コミュニティなんて無数存在していて、そこから何らかの恩恵を受けてるんですよね。
当然、嫌な思いをすることもありますけどね。
コロナ明け、自分はどうなるんだろう?
「コロナ明け」って言い方ってあるんだっけ? と思って、ググってみました。
結構、みんなが使ってる言葉ですね、「コロナ明け」社会の予測本みたいなのもいっぱい発刊されてるみたいです。
僕もちょっとこの「コロナ明け」について考えています。
「世界はどう動くのか?」とか「生活者のマインドにどんな変革が?」みたいな大袈裟なことじゃありません。
この長いステイホーム期間がきっかけで、ちょっとだけ「コミュニティ参加欲求」を意識し始めた僕にとって、コロナ明けの行動に何かしらの影響があるのかな? と、そんなことを考えているのです。
とはいえ、もうすでに完全にステイホームに慣れきってますよね、もしかしたらコロナが明けても、この生活スタイルを継続するかもしれません。
「コロナも明けたし、飲み会なんていつでもできるんだから」と感じるだけで、ストレスから開放されるってこともあり得ますしね。
また以前のように「あまりかまわないで、ほっといて」という自分になるのかもしれません。
もしかすると、自分が属するべきコミュニティを求めて動き回るのかな? という気もしています。
なんせ無職ですから、暇なんて山ほどあるのですよ。
ともあれ、新型コロナの影響で「メシでも行きましょうよ」って声をかけにくかった人が何人もいます。
とりあえずは、そういう方々をなんの躊躇もなく食事に誘える日を待ち望んでいます。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。