遠慮じゃないんだ…。嫌なんだ
2021.01.31
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「自分がされて嫌なことは、ひとにしない」という考えには賛成できますが「自分がされて嬉しいことを、ひとにしましょう」には、ちょっとした異論があるのです。自分の「好き」を他人に押し付けると、単なる迷惑になってしまうことだってあるのです。
「ひとの嫌がることはしない」に異論はありません
いつ頃、誰が言い始めたことなのかは知らないけれども、自分がされて嫌なことは他人にしてはいけないことになってますよね。
小さい頃、両親や祖母からも言われたし、保育園の保母さんからも、学校の教員からも…、僕に何かを教えてくれる人たちは、みんなこれを言っていました。
それでも僕たちは、他人に意地悪なことや乱暴なことをしてしまうので、繰り返し「ひとが嫌がることをしちゃダメっ」と怒られながら育ってきました。
子供に「ひとが嫌がることをしちゃダメ」っていうと、好奇心を喚起しちゃうんですよね。
ほら、子供って「やっちゃいけない」ってことをやりたくなっちゃうもんじゃないですか。
その「ひとが嫌がること」を他人にやった場合、その人はどんな反応をするんだろう? 自分はどんなしっぺ返しを食らって、そのとき自分はどんな気持ちになるんだろう? って試してみたくなるのですよ。
もちろん大人になってからは、「そうだ、ひとの嫌がることはしちゃいけない。その通りだ」って、思っていますし、その台詞を言ったりするようにもなっています。
そのほうが人間関係が円滑になって、無駄な軋轢を生まなくて済みますからね。
でもときどき、ちょっとだけ「どんな反応するんだろう?」って好奇心が頭をもたげることだって、ありますけどね。
まあ「ときどき」だし「ちょっとだけ」です。
「自分の好きなことは、ひとも好き」は、ちょっと困る
「ひとの嫌がることはしない」の裏返しで「自分がされて嬉しいことを、ひとにしなさい」とも言われますよね。
「してはいけない」よりも「しなさい」のほうが、能動的な感じがしていいですよね。否定は萎縮に繋がりますしね。
子供時代にさんざん聞かされてきたからでしょう、僕も含めてほとんどの人がこの考え方で行動してますよね。
「自分がされて嫌なことは、他人も嫌だろうな」と思うし、「自分がされたいことは、他人もされたいだろうな」と考えるようになっています。
他人が「嫌なこと」「されたいこと」なんて、分かりようがないので、自分を基準に考えるしか手立てがありませんからね。
ただ成長するにしたがって、「自分は嬉しいけど、他人は嬉しくないこと」「自分は好きだけれども、他人は嫌いなこと」って、ものすごく多いことに気付くことになりますよね…。
たぶん「自分は好きだし、他人も好き」と同じくらいの量あったりしませんかね?
僕は「自分がされて嫌なことは、ひとにもしない」という考え方には手放しで賛成できるのですが、「自分がされて嬉しいことを、ひとにしましょう」に関しては「ちょっと待てよ」と思うのです。
もしかしたらそれ、「ひとが嫌がること」なのかもしれないのです。
遠慮なんて「してる風」に振る舞ってるだけですよ
あまり好きじゃない食べ物を、しかも買ってきた人の前で勧められると、なかなか「僕、これ嫌いなんで食べません」なんて言いにくいですよね。
「ありがとうございます、ご相伴に与(あずか)ります」とひと口ふた口程度は口に入れます。
重ねて「いろんな種類がありますので、ひと通りどうぞ」とか、若かりし頃には「若いんだから、もっと食べなよ」みたいなことを言われたりすることもあります。
僕としては、そんなにたくさん食べてたくないので「もう十分いただきました」とか「他の方もおられますので、そちらに」などと言いながら、やんわりと拒絶するのですが、多くの場合「ご遠慮なさらずに」って言葉が返ってくるんですよね。
心のなかで「(察してくれないかなあ)」と…。
たとえば、誕生日のサプライズなんかにしてもそうですよね。
当然、サプライズなので僕は何も聞かされてなくて、「このあと、別のところで別の人たちとご飯食べる予定になってるんだけど…」とか、「この場のみんながオレの反応を窺(うかが)ってる感じが、すごく嫌だ」とか、いろんな整理しきれない感情でモヤモヤした気持ちになりがちです。
そうされて「嬉しい」と感じる人たちが企画してくれたんでしょうけどね…。
僕は「ビックリした感じで『ウァ〜。アリガトウ』って言わないと許さないぞ」的な空気が、ものすごく嫌いなのです。
言いますけどね「ウァ〜! アリガトウ。ビックリしたあ」って。
あなたの好きと、僕の好きは違うのです
みんなできるだけ、ひとが喜ぶことをしたいと思ってるし、ひとが嫌がることをしないようにしているのです。
そのほうが笑顔が増えて、楽しくなって、いろんなことが上手くいくようになりますからね。
ひとが喜ぶ姿を見て、僕も喜ぶのです。
仕事だってそうですよね。
「これを使ってくれたひと、喜ぶぞ」と思って商品を作るし、「このスピードで資料を仕上げれば、上司喜ぶだろうな」とか考えながら進めたりします。
ただ、すべてを自分基準で考えるようになってしまうと、ちょっと具合が悪いのですよ。
繰り返しますが、他人が「嫌なこと」「されたいこと」なんて、分かりようがないのです。
自分の「好き」を大いに張り切りながら他人に押し付けてしまうことって、往々にして起こりがちですよね。
他人にとってそれは「好き」でもなんでもなくて、ただの迷惑だったりしてね…。
そのすれ違いも、過ぎてしまえばコミュニケーションのスパイスみたいなものだったりするんでしょうけどね。
みんな「あのひと、こういうの好きだよね」とか「こういうの嫌いだから、絶対やっちゃダメ」みたいなことは想像してるはずなんですけどね…。
それでもコミュニケーションが上手くいかなくて、困惑する場面に多々遭遇しています。
それでも読み違いとか、そのときのノリで変な感じになっちゃうことって、完全に回避することなんて無理なんでしょうね…。
ひとの言う「要らない」とか「結構です」は、額面通りに受け取るほうが吉だと思うのです。
ゆめゆめ「ご遠慮なさらず」なんて押し問答に持ち込むべきではないのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。