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もらい笑いをする機会が、めっきり減りました

2021.02.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

目の前にいる人が笑ってると、自分も笑顔になりますよね。「もらい笑い」です。笑顔と一緒に幸福感も伝わるので、それだけで座が和んで気分が良くなります。でもここのところ、みんなの表情がマスクで隠されているので、それがストレスなんですよね。

そもそも、笑うことが減ってますね

長らく自宅兼作業場で仕事をしていたので、あまり他人の表情が目に入らない生活を送っていたのですよ。

なので、毎日オフィスで仕事をしている方々と比べると、他人の笑顔に触れることも、自分の笑顔を他人に見せることも少ない暮らしをしていました。

「仕事中、そんなに笑ってなんかないよ」とおっしゃる方もおられるでしょうが、ずっと一人で作業をしていた僕と比べると、他人の笑顔に触れる機会は格段に多かろうと思うのです。
当然、自分が笑顔になる機会も多いですよね。

そんな僕でも、誰かが自宅にやってくることもあれば、一歩外に出ればそこにはいろんな人が歩いていて、ちょっとした挨拶を交わすこともあれば、立ち話をすることもありました。
スーパーでの店員さんとお客さんのやりとりだったり、公園で遊ぶ子供同士の会話が耳に入ってクスっと笑うことなんかも多かったのですよ。

1日のうちに何度かは、無意識のうちに頬がほころぶような暮らしを、ずっと続けてきたはずなのです。

なんとなく気付いたのですが、最近、笑うことが減ってますよね。
他人の笑顔を見る機会が減ってるからでしょうね。

商業施設や公共機関内ではみんなマスクをしているし、そもそも友人・知人同士で集まることがないし、近所で他人とすれ違う機会も東京で暮らしていたときと比べて格段に少なくなっているのです。

ずっとステイ・ホームをしていて、ひとりで何かを考えながらニヤニヤしたりとか、YouTubeなどで動画コンテンツを観ながらクスっとすることはありますが、日を追うごとに感情が表情に現れなくなりつつあるような気がするのです。

他人の表情から得るものって大きいのですよ、他人が笑ってるところを見るから僕も笑うんですよね。
僕が笑うから、つられて笑う人もいるのです。

座の雰囲気がちょっと和むだけで

ニヤニヤしている人を見ると「真剣さが足りない」とか「真面目じゃない」なんて感じる人が多いことは分かっています。
とくに仕事中なんかは、ちょっと顔をこわばらせて「ん〜」と唸ってたほうが、何かを考えてる風に見えちゃうんですよね。

ヘラヘラしてる人は「不謹慎」なのです。

でも、ずっとムスッとした顔なんてし続けられませんよね。

少しだけ場を和ませたかったり、自分も肩の力を抜きたいときってありますからね。

そんなときは、誰かの意見に賛成するときにフッと頬を緩めたり、他人の話を聴きながら「同調します」の気持ちを込めて、ちょっとだけ口角を上げると座のこわばりがだんだん取れていくものなのです。

座のこわばりが取れると、そこから笑顔の連鎖を作ることはスムーズになりますね。

出席者が笑顔になりながら進めるミーティングとか会議って、少々重たい内容でも、そこそこ心地良く進められるし、決定したことに乗りやすくなりますよね。

とくに、基本的にずっと自宅作業で、会議慣れしていない僕にとって、座の雰囲気って疲労度に直結するのですよ。
今は無職になってますから、過去の話ですけどね…。

ひとりのときでも笑ってみる

これ、ひとりで作業場にいるときでもそうなのです。
業務上のメールやメッセージを読みながら、ふと相手の表情が浮かんできて、それが笑顔だと自分の顔もちょっとほころびますよね。

ほんの少しだけ、気持ちが和むのです。

相手のこわばった表情を思い浮かべて、暗い気持ちになることもありますけどね…。

「もらい笑い」って、その場に一緒にいなくても、他人の笑顔を思い浮かべるだけで一緒に笑うことができるんですよね。

そういう状態でいるほうが、心も身体も和らいでいるのです。

おそらく、こうやって毎朝書いているブログも、ちょっと口角を上げながら書いたほうが、やわらかい文章に仕上がるし、あなたに笑顔が伝わるような気がするのですが、どうなんでしょうね?

反対に、笑わない暮らしをしていると、自分の中でいろんな硬直が起きてしまって、生活がこわばってしまうんですよね。
暇でしかたないのに、なんとなく不自由さを感じたりね。

ひとりでいるときは、どんなにニヤニヤしていようが、大笑いしていようが、誰からも咎められません。

なので、何かしらの理由をつけながら笑うようにしようと思っています。
たとえば知人からLINEが届いたとき、メッセージを見るより先に、その人が笑ってる顔を想像して、自分も口角を上げてメッセージを読むようにしてみるとかね。

積極的に笑いをもらおう

なかなか友人・知人と会えないし、会ってもマスクによって表情が隠されているし、なかなか「もらい笑い」がしにくい状況です。

密集した場所にマスクをしたがらない人がいるのもストレスですが、表情の見えない人とコミュニケーションを取らなければならないのも、なかなかのストレスなんですよね。

だからといって、オンライン会議アプリを乱用するのには反対なんですけどね。
以前投稿した「面倒くさいことを、拒んでいこう」でもちょっと触れていますが、基本的には時間を合わせて集まる必要ないし、いちいち顔を見ながら話す必要もないと思っているのです。

矛盾しているのは承知の上なのですが、「バランスの問題」なのだろうし、「相手」によるし、「状況」にもよるのです。

時間を無駄に拘束されるのは嫌だし、こわばった顔がズラっと並んでるところを見ながら会話をしたくもありません。
でも、笑顔の連鎖(=もらい笑い)の中に身を置きたいという欲求は、この状況下かなり高まっています。

ずっと「もらい笑い」は、笑顔と幸福感が自然に伝わるものだと思っていました。

ただ、ここまで他人の表情が見えないまま暮らしていると、だんだんと「もらおう」という積極的な気持ちが芽生えてきますよね。

スーパーで小さい子供が、自分の好きなお菓子を見つけて「あったぁ!」と喜んで棚に駆け寄っているとき、そのマスクの下の笑顔を想像して、僕もマスクの下でもらい笑いをするのです。

それだけでちょっと幸福感を得られるし、気持ちが緩むんですよね。

ちょっとだけ僕の肩が揺れるかもしれません。
それに気付いた人にも、もらい笑いが伝わるかもしれません。

マスクによって視覚情報を奪われているぶん、想像力で補完する力をつけるチャンスなのかもですね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。