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人生が連続してる必要なんてありません

2021.02.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

上手くいってるときって、自己満足とともに「できること」の範囲内をグルグル回ってたりするんですよね。いったん過去の人生と決別してみると、そんなことに気づいたりします。人生のうちに何度かは連続を断つタイミングを作ることが必要なのです。

思うように行かない

第二種電気工事士の資格を取ってみようと思い、暇を見つけては過去問を解いてみたり、わからないところがあると解説サイトで理屈を学習してみたりを繰り返しています。

暇なので、こうしてブログを書き終わってから昼食を採るまでの3時間程度は、ほぼ毎日そんな時間を過ごしています。

まったくもって、上手くいっていません。

とにかく頭に入ってこないのですよ。
「オレって、こんなに勉強下手くそっだったっけ?」と恥じ入るくらいです。

とくに電気理論、配電図を見てa-b間の電圧を求める的なやつが全然ダメです。
大量の公式をまったく覚えられませんし、解説を読んで分かったつもりになっても、ちょっと角度の違う問題に当たると「はぁ?」ってなっちゃう感じです。

自分の中でちゃんと歯車が噛み合ってくれてない感じが、ずっと続いていますね。

このブログだって似たようなものなのですよ。

毎月々初に「運用報告」という定期コンテンツを投稿していますが、開設して2年半が経過しているのに、月間のpv数は1万に満たないし、Googleアドセンスの収益も毎月1,000円程度しかありません。

開設当初は「まずは月間1万pv行ったら、アフィリエイトに挑戦するんだ。小遣い欲しいな」なんてことも思ってたんですけどね…。

毎朝こうして何かしらを考えて、テキストに記録する習慣ができたことを「良かった、成果だ」ってことにしてますが、当初の目的は「自分でコンテンツを作って、それを収益化する」だったんですよね。

「なかなか思うようにはいかないもんだな」というのが率直な感想です。

同じところを、グルグルと周り続けてただけなんじゃないか?

職業人時代、僕はわりと学習好きだったと自己評価をしています。
営業力に長けているわけでも、大きな組織に属しているわけでも、圧倒的なセンスがあるわけでもありませんでしたからね。

とにかく新しい情報を仕入れ続け、仕事で実装できるように学習と訓練を続ける必要があったんですよね。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

でもこうして無職になってみて、電気工事士なんてこれまでカスったことすらない分野の学習を始めてみたり、こうやってブログを運用してみると、まったく上手くいかないのですよ。

成果が出ないのです。

職業人時代、日々「忙しい、忙しい」と案件に取り組み続け、ちょっと時間ができたら新技術のドキュメントを読み込んでみたり、流行中の表現方法を実装してみる練習をし続けてきていたつもりだったのですが「それって、同じところをグルグル周り続けてただけなんじゃないの?」などと思っているのです。

アップデートはし続けたし、バリエーションもいっぱい作ったんですけど、「できること」の範囲内でそれらを反復してたに過ぎなかったんですよね。

とはいえ、四半世紀にわたって食うには困らなかったので、それなりの効果はあったはずなんですけどね。

僕は自分の職業人生を、運に恵まれていたこともあり、「なかなか上手く行ったぞ」と感じているのですが、反面「否定すべきところは、ちゃんと受容しておかなきゃな」とも感じているのです。

反省じゃなくて、検証ですね。

「ゼロに戻す」の効能

一時期、このブログ内でもしきりに「ゼロに戻す」というワードを使って、自分の考えを記録し続けていたことがあります。

ずっと営んできたデザイナー業から離れて無職になり、長年暮らした東京を離れて生まれた街・山口県萩市に移住し、人間関係もいったんリセットしようとする行動をひっくるめて「ゼロに戻す」という言葉で表していたのです。

例えるならば、部活の練習後にコートやグラウンドの整備をしたり、ボールの数を数えたり、用具を清掃して片付けるような感覚です。

「また明日使うのに…」ではあるのですが、いったんそこで行動にけりをつけるんですよね。
「今日の練習はここまで。明日も同じことをするとは限らないよ」「何したい? 頭を整理しよう」という思考を持つための儀式みたいなものでしょうかね?

「今までこうやってたのだから、この先もこのままでいい」という考え方が危険であることは、大抵の人が知ってます。
子供のころから、ずっとそんなことを言われ続けてきましたし、成長の過程で何度もそう感じる場面に出くわしますしね。

でも「そこそこ」上手く行ってると、見失っちゃうもんなんですよね。

僕は完全にそういう状態に陥ってました。
だから、50代半ばにして「焼きが回る」羽目になったんでしょうね。

無職になってセミリタイア生活を始め、これまでの行動をゼロに戻してみた今、ようやくそんなことに気付いています。

冒頭の「思うようにいかない」ことに関しては、まったくもって面白くないので、手放しで「気づけてよかった」と喜んでるわけじゃありません…。

でも、なんらかの行動をしてみると、それはそれで景色が変わるんですよね。
「面白そうだと始めてみたことが、上手く行かない」こと自体は気に入りませんが、そういう視点を持てることで「プラス1」なのです。

どこかしらで折り合いはつくんだろうけどね

「人生なんて連続してる必要ないんだろうなあ」と思っています。

昨日投稿した「好調ときには、調子の良さに気づかないものなんです」でもちょっと触れましたが、人はいくら快適な状況にいても、それが続くと飽きるんですよね。

僕はそれを「微調整するためのシグナル」だと感じているのですが、定期的に微調整では済まないくらいの大きな「飽き」に見舞われますよね。

そうなったらもう、あとさき考えずに、そのときに面白そうだと思っていることをやってみるしか解決策はないと思っているのです。

当然「これまで培ってきたキャリアが…」とか「収入が途絶えてしまうのは…」みたいなリスクもあるんですが、最低限「死なない」準備さえ出来ていれば、損得みたいなものは、のちのち折り合ってくるんじゃないでしょうかね?

「首尾一貫」みたいな考えに絡め取られて、身動き取れなくなるほうが長い目で見るとキツいと思うのです。

過去にやたらと「人生100年時代」というワードを多用しながらブログ記事を書いていた時期もあります。
もともと「まだまだ、先は長いんだな」と思ったことが、セミリタイアを決心した理由ですからね。

「こりゃ、もうワンゲームできるな」と。
(参考:[フリーランスの老後]人生のピークを先延ばしする

なので、どこかしらで「過去の自分」は置いといて、「未来の自分」を再構築するフェーズが必要になるんですよね。

冒頭で触れた「思うように行かない」のも、未来の自分を再構築するための練習だと思えば「そりゃ、最初っから上手くいくわけなんてないわな」と納得できるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。