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「頑張らない疲れ」みたいなの、あるかもね

2021.02.21

こんにちは、萩ドットライフ()です。

頑張らなくていいようにセミリタイアしたのですが、ここのところ「頑張らないのも、そこそこ疲れるなあ」と思い始めています。たぶん「達成感」という回復剤が不足しているからなのでしょうね。そこそこ頑張ることって、生活の中に必要なのですよ。

頑張ることが嫌でセミリタイアしたんだけど

お爺さんになって知力も体力も失って、いくら頑張ろうと思ってもそれができなくなる前に、頑張ることからいったん降りようと思ったのが、セミリタイアのきっかけです。

「いったん」なのか「ずっと」なのかは、まだよく決めていません。

フリーランスになった30代半ばから、セミリタイアした50代半ばまで、ずっと僕は仕事中心の生活をしていました。
楽しかったのだから、それはそれで良かったのです。

でもだんだんと、頑張らなければ楽しさを得られないようになっていったし、いつの間にか頑張ることで得られる楽しさよりも、苦しさのほうが上回るようになったんですよね。

「焼きが回る」って状態ですね。

そこを乗り越えれば、また別の世界が見られたのかもしれませんが、僕は「ここいらでよかろう」と判断して、セミリタイア人になることを選びました。
もしかすると、このあたりが一流になれる人と、二流のまま職業人生を終えることになる僕との差なのかもしれません。

セミリタイアを決めた当時は「もう頑張らない! やめるって決めたんだから」と、肩にギュッと力を入れ続けているような感じでしたね。
そうしないと、気持ちが揺らいじゃうんですよね。

いくら「焼きが回った」って言っても、まだまだ仕事の中には「楽しさ」とか「嬉しさ」みたいなピースはいっぱい転がってるんですから。

無職になって1年以上経過した今では、なんとなく肩の力が抜けていい感じになれたような気がしています。
反面「頑張らないのもしんどいなあ」という感覚も芽生えてきてるんですよね。

昨日投稿した「興味のなかったことに関心を持ってみる」でも書きましたが、何かしら頑張るべきものを求めちゃってるんですよね。

足らないのは達成感

自由気ままに好き勝手な生活を送っていると、楽しいし快適なのだけれども、達成感がないんです。
当然、そんなことは分かってたはずなんですけどね。

ちょっと「達成感」の効能を見誤っていたような気がします。

仕事中心の生活をしていた頃に感じていた「楽しさ」とか「喜び」って、この「達成感」の役割がものすごく大きかったんですよね。
念入りに考え抜いて、表現方法や仕掛けを工夫して、仲間の思考や知恵と組み合わせて成果物を作って、みんなで喜び合う感じが、とても健康的だったのですよ。

この「達成感」で、疲れを回復し続けてたんですよね。
トレーニングで言う超回復みたいなもので、疲労前よりも回復後のほうが筋肉の量も質も増してる感じ、あれが心地良かったんです。

頑張らない日々を過ごしていると、この感覚がないんですよね。
そして、意外と疲れが溜まっていくものなのですよ。

そして「何か頑張るものを探さないと…。挑まないとな」と思いはじめてしまうのです。

変化のない、おだやかな日常が心地いいんじゃなかったっけ?

おそらく、このへんは行ったり来たりなのです。
だって数ヶ月前には「風が吹き抜け、鳥が庭にやってくる。なんでもない日常が実に鮮やかだなあ」などと思っていたのですから。
(参考:田舎暮らしも、なかなか情報量が多い

朝起きて、ブログを書いて、朝ランして、ご飯を食べて、YouTubeを見たり草むしりをして暮らす。
こんな毎日の中の、ほんのちょっとの変化に心地よさを感じる。「この暮らしがいいなあ」と思うことができてたんですよね。

でも、ちょっとひねくれた言い方をすると「変化のない日常」は、自分の中に変化を見出すための準備行動なんですよね。
同じことを淡々と繰り替えすから、ちょっとした違和感に気づくのです。

ちゃんと違和感を感じ取って、微調整し続けていないと、いろんなことがしっくり来くなってしまうのです。

あるときは「ただただじっと、自分の中に起こる違和感を感じ続けること」が気持ちのいいときあるし、別のタイミングでは「次々と違和感に対応して、自分を変化させ続けること」で満足感を多く得られるときもあります。

自分が求める分量は、その時々で変わっていって、それもまた「微調整」なんですよね。

小さく変わり続けるしかないんですよね

今日のテーマにしてみた「頑張らない疲れ」なんかも、最近感じるようになった違和感のひとつなんでしょうね。

僕は「結局は、変わり続けるしかないよなあ」と思っています。

もう、業務上求められて新技術を獲得するわけでもなく、誰かに変わった自分をアピールする必要もないので、小さく揺れ続けるように変わり続けるのがいいのかなあと思っています。

なんとなくのイメージですけどね。

そして、変わり続けていることを自分で認識できることが大切なんですよね。
楽しくなることが変化ならば、つまらなくなることも変化なのです。
どんどん上手になることが変化ならば、上達のスピードが止まってしまうことも変化なのです。

変化自体にポジティブとかネガティブとか関係ないんですよね。

ただ毎日を暮らしていれば、人は変化するものなのですよ。
自分が変わらなくても、周囲が変わりますしね。

大切なのは、もしかすると「変化すること」じゃなくて「変化に気づくこと」なのかもですね。

変化に気づけば、行動が変わりますからね。

僕は「頑張らないのも、これはこれで疲れるな」と気づいたので、そこそこに頑張ることを生活の中に組み入れようと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。