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書いちゃったんだから仕方ない、やらなきゃ

2021.03.03

こんにちは、萩ドットライフ()です。

思いついたことを言ったり書いたりしておくと、そのときは流れていっても、なんとなく頭に残り続けるものなんですよね。そして「書いちゃったんだから、やらなきゃ」という感覚が、自分の背中を押してくれて、本当に行動に至ったりするものなのです。

なんでこんなこと、やってるんだろ?

ときどき、このブログでも触れているのですが、僕はいま第二種電気工事士の試験を受けるべく、学習を進めています。
年明けくらいから、思い出してはWeb上の解説ページを読んだりしていたのですが、最近はとくにその時間が大幅に増加中です。

動機は「いま住んでいる古い家をセルフリノベーションしながら暮らすのだから、そっち系の知識を付けておきたい」とか「これまでの人生で関わりを持ったことのない分野について関心を持ってみよう」とか、上げれば切りがないくらいあります。
(参考:興味のなかったことに関心を持ってみる

「学習を進めている」といっても、ひたすら問題を解き、解説を読んで知識を増やしたり定着させたりを繰り返しているだけなんですけどね。
似たような問題を何度も繰り返し解いているので、解答の選択肢を見て、問題文が想像できるようになっています。

試験日も筆記試験は5月30日(日)に決まったようです。
受験申込は3月22日から受付を開始されますので、申し込むつもりです。

頭の片隅で「オレ、なんでこんなことやってるんだ?」と思っているのも事実です。
イメージで言うと、新しいゲームを買ってクリアに向けて、ひたすら攻略している感じです。

後述しますが、それはそれで楽しいんですけどね。

ただ、資格試験に合格したからと言って、電気工事の仕事を始めるつもりはありません。
せいぜい「このゲーム、クリアしたからもういいや。次は何やって遊ぼうかな」と思うことになるんでしょう。

頭の「違うとこ」を使ってる感じが楽しいです

僕は高校時代、いわゆる「文系」というコースに通っていました。
いまでも「文系/理系」ってあるんですかね? 端的に言うと、数学のややこしいやつとか、物理をやらなくて済むコースです。

大学は体育学部でしたし、社会人になってからは紆余曲折を経てデザイナーになり、職業人生のほとんどの時期を「フリーランスのデザイナー」という立場で過ごしました。

電気理論とか設備工事なんて、無縁の世界で暮らしてきたのです。
だからこそ「ちょっとやってみるか」って気になったんですけどね。

おそらく、さほど難易度は高くない資格なのだろうと思います。
それなりのカリキュラムを学校なり訓練校で修めれば、学科試験は免除になるようですしね。

にもかかわらず、最初はちんぷんかんぷんでした。
だって前提となる素養が一切ないんですから、当たり前っちゃあ当たり前なんですけどね。

ただ、だんだん問題意図とか、数値の決まり方などが理解でき始めると、なかなか楽しくなってくるものなんですよね。
前述の通り「ゲームやってる感じ」なのです。

なんとなく、頭の中の「これまで使ってこなかったとこ」を使ってる感じがしてなかなかいいです。
筋トレやって、いままで筋肉痛になったことない部位が張って「おや」っと思うのと似ているかもですね。

暇なのが、なかなかいいです

おそらく無職にならなかったら、こんなことする気になってなかったと思います。
職業人でいる間は、どうしても「仕事の役に立つこと」の中から学習内容を選んでしまいますからね。

昔からいう「四十の手習い」もこんなマインドだったんじゃないでしょうかね?

人生のどこかの時点で、これまでやってきたことから離れて、何かの初心者になってみることが上手な老いとの付き合い方だと、先人たちも考えてきたんでしょうね。

「前にも、こんなこと考えてたことあるな」と思って、過去記事を検索してみたら、「老後に、右肩上がりのなにかを持ち続けるプラン」という記事を投稿しました。

無職になると、考えたりやったりすることと仕事を直結させる必要がなくていいですね。
無駄で上等なんですよ、時間もたっぷりありますしね。

正直なところ「電気工事士の資格なんか取っても、なんの役にも立たないんだろうな」と思っています。
いや。自分ちをDIYするときには、ちょっとだけ役に立つのかな…?

反面「さわりだけちょっと勉強しただけなのに、ちょっと街の見え方が変わってきたぞ」なんて実感もあります。

「変わってきた」って言っても、家にくっついてる部材の名前と用途、知ってるものが増えたってくらいのものですけどね。

暇ですから、1日中問題集と取り組んでたりできるんですよね。
過去問なんてネット上にいっぱい落ちてますし。

そうすると、最初ちんぷんかんぷんだったものが、だんだんと解るようになる過程が手にとるようにわかって、それが嬉しいのです。
たしか、学校に通ってた頃にもそんな感覚あったような気もするのですが、オッサンになってからそういう感覚をもう一度体感するのって、格別ですよ。

「思いついたらブログに書いとく」って有効ですね

で、冒頭の「なんでこんなこと、やってるんだろ?」ですが、僕は「ブログに書いちゃったから」だと感じています。

もう使っていませんが、昔々、ビジネスパーソンは「手帳を持つもの」ってことになってませんでした?
他聞にもれず、僕も持っていましたし、割と活用していました。

スケジュールと一緒に、思いついた「やること」を書いておくと、「手帳に書いちゃってるし、仕方ないやるか」ってなっちゃうんですよね。
備忘録っていうよりも、むしろ行動を喚起するための装置みたいな感じで使っていました。

「ブログに書いちゃったから」も、それに近い感覚だろうと思います。

こうして毎朝、思いついたことをブログに書くことを習慣にしています。

大した推敲もせず、投稿が済めばそれがゴールのつもりで続けてるのですが、割と書いたことって記憶に残ってたりするもんなんですよね。
思いつきで書いたことが、はならずもスタートに転じることも多々あるのです。

セミリタイアも、萩の家の購入も、こうしてブログで記事にしながら気分を高めて行った部分もありますしね。
「書いちゃったんだから、進めるしかねえな」って自分の背中を押してくれるのです。

以前投稿した「家飲みをやめるつもりです」みたいに、嘘になっちゃうことも同じくらいあるんですけどね…。

思いついたことを「考え中」の引き出しにしまい込まずに、すぐにテキストにしたり言葉にしたりすることって、とても大切なことだと改めて感じています。

こうして、思いついたことをブログ記事化していると、書きながら「これは本当に実行するな」とか「こうやって書いちゃってるけど、いまいち乗れないかもな」みたいなのが判ったりするんですよ。
当然、そこから微調整が始まったりするんですけどね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。