好きそうにやってる人に、ものを頼みたい
2021.03.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。人にものを頼むときって、それを「好きそう」にやってる人に頼みたいですよね。嫌そうな人に頼むのって、あまり気分がいいもんじゃありません。自分も「好きそう」にできる何かを持っていないと、人は寄ってきませんし、楽しく暮らせないのですよね。
いまの僕にデザイン頼む人、いないでしょ
「いまのオレにデザインの仕事頼んでくるヤツなんているわけないよな」なんてことを思っています。
これは逆に「いまのオレに頼んでくるようなヤツの案件なんて、請けるわけないよ」ってことの裏返しでもあります。
僕に依頼をしてくるような人って、人を見る目がない人だと思うのですよね。
そして僕は、人を見る目がない人からの案件を受けるのは嫌なのです。
だから、受発注関係に至らないのです。
いまの僕は「デザインが好きそう」じゃなくなってる「はず」なのですよ。
自分で自分のことはよくわかりませんが、そうなってるに決まってるのです。
自分自身で、焼きが回っていることを感じて一線を退いて、セミリタイア生活に突入して、清々しているところです。
とてもじゃないけど「デザイン大好き! どんどんやりますよ」って感じじゃないんですよね。
それでも依頼をしてくる人がいたとしたら、その人も焼きが回ってるか、もしくは自分の力で発注先を探せない人なんですよね。
どちらからも、なんとなく地雷臭を感じますよね…。
「ちゃんと話を聞いてみたら、いろいろ楽しそう」ってことも無きにしもあらずなのでしょうが、なかなか可能性は低いでしょうね。
好きって、表に出ますよね
焼きが回る前の、ひっきりなしに案件がやってきていた頃、僕はたぶん「デザインが好きそう」にしてたはずなんですよね。
打ち合わせのときの「ああしましょ、こうしましょ」から、ラフ出しのときの「このA案はね。こっちのB案はね」とか、打ち上げでの「あのとき、ああだった、こうだった」まで一貫して「好き」がにじみ出てたはずなんですよね。
だから、クライアントも代理店も「また、あいつに頼みましょ」ってなってたはずなのです。
デザインのみならず、ものごとって得てしてそういうものですよね。
「好きで何かに取り組んでる人」って、表に出るのですよ。
「好きそうにやってる人」になっているのです。
頼む方も、好きそうにやってる人に頼むほうが気分がいいのです。
そりゃ人がやってることだから、ムラはありますし、気分の善し悪しだってありますけどね。
そんなときでも、もともと「好き」なのだったら、好きなふりをし続けることもわりと簡単にできますよね。
こういうのって、結構大切なことだと思うのです。
東京から萩に移住して、変わった風景
東京から萩に移住してきて、半年が経ちましたが、ぜんぜん違うことのひとつが街を歩いている人のファションです。
以前もちょっと、萩の人の服装に触れたこともありましたね。
(参考:生活環境が変わると、服装選びにちょっと困る)
今日語りたいのは、車移動だから薄着だとか、自転車移動だからモコモコしてるとか、そんなことではなくて、オシャレ度みたいなことです。
やはり、東京で暮らしていたときと比べると、服装が実用的と言いましょうか「この街をこういう服を着て歩くのが、楽しい」みたいな感じではないのですよ。
僕もある年代を超えてからは、着るものがユニクロとスポーツメーカーに集中してますので、実用派なんですけどね。
「東京にいたころは」なんて言っても、東京も街によってまちまちで、僕の生活圏だった清澄白河とか日本橋界隈は、わりかし大人しめだったんじゃないでしょうかね。
青山とか表参道辺りに行くと「自分、好きでこれ着てます」な感じの人の割合がぐんと増えてたように感じていました。
そういう街を歩いていると、服を買いたくなるんですよね。
「持ってるやつが、まだ使えるからいいや」じゃなくて、「ちょっと気分を変えるために、何か新しいの欲しいな」って気分になるのです。
そういう場所には洋服屋さんがいっぱいあって、その中には「洋服を売るのが好きな人」がいるものなんですよね。
そして、そういう人から買ったほうが楽しかったり、気分が上がったりするのです。
おや、なんか誤解を招きそうな文章になってしまいましたね…。
僕は決して、東京(=都市)には、楽しそうな人がいっぱいいて、萩(=田舎)はそうではないということが言いたいのではないのです。
「何かものを頼むのならば、好きそうにやってる人に頼みたいよね」ということを主張したかったのです。
洋服のみならず、パンでも食器でも、筆記用具でも、なんだってそうなのです。
いろんな場所にいろんな「好きそうにやってる人」はいるはずなのです。
もしかして、土地によって偏りがあって、それがその街のカラーを作っているのかかもな? なんてことも感じています。
また別の「好きそう」を作らないとね
人に頼みごとをするときに、嫌そうな人には頼みたくありませんよね。
振りでもいいから「好きそう」にしてる人には頼みごとが舞い込むし、人が寄ってくるものなのです。
で、冒頭の話に戻るのですが、僕はデザインの仕事を「好きそう」にし続けるのが苦痛になったから、いったん自分のキャリアを閉じることに決めたのですよ。
この「好きそう」にできなくなった理由を掘り下げようとすると、いっぱいありすぎてなかなか頭の整理が付かなくなるのですが、大雑把に言うと「加齢」のせいなんだろうな、と思っています。
その他にも、僕自身の素養とか個性とかも混ざってそうなので、総じて「焼きが回った」という表現にしてますけどね。
同じ業界、近しいクライアントに長い期間お世話になり過ぎたせいもあり、「好きそう」にすることに対して、気恥ずかしさを感じ始めたような気もします。
発注担当者との年齢差が年々開いていきますしね…。
いまいち「おっさん」と「好きそう」の相性が良くないんでしょうね。
でも本当は、ずっと何かしらを「好きそう」にやってたほうがいいに決まってるのですよ。
どうせ僕は無職になって暇なんだし、いろいろやっていれば、そのうち別の「好きそう」にやれることが見つかるかな? と思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。