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この暇、苦労の末に作ったものなんだけど…

2021.03.08

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「暇」に対する感覚って、人によってぜんぜん違うものなんだなと感じています。僕は苦労を重ねて、せっかく作った「大切な」「邪魔されたくない」ものだという認識なのですが、「暇な人をほっといちゃいけない」と感じる方もいるようなんですよね。

はい。僕は暇です

無職だし、セミリタイア人になっているので、1日を概ね暇にして過ごしています。
言うなれば、1日中暇つぶしをして過ごしてるんですね。

具体的に言うと、こうして毎朝ブログを書くのも暇つぶしだし、週に3・4回は朝ランに出かけるのも暇つぶしです。
ずっと寒かったから、あまり行っていませんでしたが、陶芸の村公園という、萩市が一望できる公園へ行って缶コーヒーを飲みながら小一時間デジタルデバイスから離れてみるのも暇つぶし。

これまで興味のなかったものに触れてみようと、第二種電気工事士の試験勉強をしてたり、その次は基本情報技術者試験を受けることも決めています。
こういうの、ひとつひとつがすべて暇つぶしなんですよね。
(参考:興味のなかったことに関心を持ってみる

暇つぶしとして何かと向かい合うことって、すべてが自発的だっていうのがいいところなんです。

もう「仕事に役立てる」ことも要らなければ、「誰かのために」も好きな人のためだけを考えていればいいのです。

抽象的な表現をすれば、行き当りばったりで自分の気が向いたところにドット(=点)を打っていってるような作業を繰り返しています。
ほら、このブログのタイトル「萩ドットライフ」ですしね。

この先、そのドットを線で結ぶ日が来るかどうかは、いまのところ謎です。

誰かの目を気にすることもなく、なんの役にも立たないことを繰り返していることに不安に感じることもなく、自分が思うままのことができているこの状況が、とにかく快適なのです。

「どうせ暇なんでしょ」って

何人かの人には「無職になったよ、毎日暇に過ごしてるよ」ということは告げています。

僕の中でなんとなくの線引きはあるのです。
「暇ならば、何かを手伝ってもらおう」とか「暇ならば、寂しくしてるんだろうな」みたいな思考になりそうな人には伝えないようにしています。

後述しますが「暇な時間を持てるってことは、それ自体が貴重なことだよね」という価値観を共有できそうな人を選んで「オレ暇になったよ」と伝えているつもりなのです。

でも、ときどき目測は見誤りますよね。

ちょっとボカして書きますが…。
「うちの倉庫の整理を手伝ってくれない? どうせ暇なんでしょ。日当くらい出せるよ」みたいな連絡をしてくる人や、「仕事やめて萩に帰ってきてるって聞いたけど…。大丈夫か?」といった電話をしてくる人も皆無ではないのです。

おそらく「仕事をやめて無職になった」「東京を離れて、田舎に移住した(=帰ってきた)」という言葉からイメージする景色が、まったく違うのでしょうね。

これに関しては、実際に「無職になって」「暇になってる」のは僕自身なので、コミュニケーション齟齬の全責任は僕にあるんですけどね。

近しいところだと、親にも「無職になった」という言い方はしていません。
要らぬ心配をしますからね。

というか、それまでずっと僕が生業にしてきた、Webデザインということに関しても、何のことだかまったく理解してなかったんじゃなかったかな…?
「パソコンがあるから、どこでも仕事ができる」みたいな感じで把握しているようです。

関心のない人と過ごす時間よりも、貴重なのが「暇」なのです

このブログでも幾度か書いていますが、僕は「よし、セミリタイアするぞ」と決めてから、数年かけてようやく無職になったのですよ。
フリーランスでやってると、サラリーマンのように「今月末をもって、退社します」みたいな終わり方ができませんからね。

これまでお付き合いしていた方々、お世話になった方々、いま受け持ってる案件周辺の方々に迷惑がかからないように、不義理とならぬように、細心の注意をもって、この「暇をつぶしながら暮らす毎日」を作り上げたつもりなのですよ。

それでも「後足で砂をかけるようにして、いなくなりやがった」とおっしゃってる方もおられるのかもしれませんけどね…。
今のところ、そんな話は聞こえては来ませんが、うっすらと気にはしているのです。

この「暇」って、僕にとってようやく手に入れた、とても貴重な「暇」なんですよね。

やりたくないことをやってる時間、会いたくない人と会ってる時間よりも、暇にしている時間の方がはるかに豊かなのです。
やりたいことをやる時間に困らないように、会いたい人と会うときには完全に先方のスケジュールに合わせるようにができるために、苦労の末作り上げた「暇」なのですよ。

「どうせ暇なんだったら、顔出しにおいでよ」とか「どうせ暇なんだったら、◯◯手伝ってよ」に応えるために作った「暇」ではないのです。

付き合う人を仕分けできていいかもね

いや「どうせ暇なのだったら…」の方々が、なんとなくの親切心で声をかけてくれているのは感じるのですよ…。
いわゆる「あなたのためを思って」なのでしょうね。

でも、別にお金に困っていて、生活のための仕事を求めているわけではないのです。
暇に耐えきれずに、話し相手やお茶飲み相手を探しているわけでもないのです。

興味のわかない仕事に従事したり、関心の持てない人と時間を共有するよりは、「暇」をひとりで有意義に楽しみたいのです。

好きな人と共有する時間 > ひとりで過ごす暇な時間 > 関心のない人に費やす時間

なのです。

この辺の感覚って、わかり合える人同士でしか共有できないものなのかもしれません。
「賑やかなほうがいいじゃ〜ん。あいつもこいつも呼ぼうよ」な方々とは、おそらく交わることはないのです。

繰り返しますが、僕は「暇」ってものすごく貴重な時間だと思っています。
決して、手持ち無沙汰になっていて「なんでもいいから、何かやりたいな」とか「誰とでもいいから、会いたいな」って時間のことではないのです。

くどいようですが、やりたいことをやるための時間であり、会いたい人に合うための時間なのです。
そして、それらをすべて自分でコントロールできるのが「暇」なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。