職業人時代。僕は役に立つ知識ばかりを得ようとしていた
2021.03.11
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。いまさらながら、損得関係なく知識というものはそれだけで素晴らしいものなんだなあ、と思っています。職業人時代は、知識を得る/得ないを「役に立つ」かどうかで判断していました。肩肘張ってたのでしょうけれども、思い出すと恥ずかしいものです。
学習意欲あるほうだったんだけどな…
知識を得るために努力をすべきか? そのまま見ないふりをして放置すべきか? を「自分にとって、役に立つかどうか」で判断してた時期が長かったように思います。
知ってることよりも、知らないことの多いほうが当たり前です。
でも、それに対する態度って「気の持ちよう」だったりするんですよね。
僕はずっと「自分は学習意欲がある方だ」と思っていました。
であるがゆえに、美術教育も工学教育も受けていないのに、どうにかこうにかWebデザイナーとして飯を食い続けることができましたし、運良く50代半ばにして「働かなくても死なない」状況を作ることもできたと感じているのです。
ちゃんとした道を歩んできていないというコンプレックスもありましたので、それを覆い隠すべく「できるやつ」と思われたい欲求もあったんですよね。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと)
ただ、いまこうして無職になって振り返ってみると、役に立つこと(=受注に繋がるとか、割増の請求できるかも? とか)ばかり一生懸命やろうとしてたんですよね。
そうでないものに関しては「忙しいんだから、そんなことやってる場合じゃないでしょ」とか「それが何の得になる?」みたいな受け止め方をして、ちょっと蔑むような扱いをしていました。
その恥ずかしい態度に対しては「選択と集中」なんて、上手い慰めの言葉があったりするんですけどね…。
いまになって「もうちょっと広い知識を得ようとしていたら、職業人生の面白さがちょっとは変わったのかな?」などと思っています。
わからないことがあることが、すごくいい
先日投稿した「職業を失ったら、思考の幅が広がった」で、ひょんなことからIPA(独立行政法人 情報処理推進機構)が実施している「基本情報技術者試験」というものを発見し、興味を持ったのでとりあえず参考書を注文してみたという話を書きました。
届いてみたら、700ページ以上もある分厚い本でした…。
もうちょっとカジュアルに感じてたんですけどね。
だって「IT技術初学者の登竜門的な位置づけ」みたいな説明がされてたんですもん。
開いてみると、いきなり「n進数の演算をしよう」みたいな話から始まってて、少々面食らっています。
プログラマとかSIerで働いてる人々って、こういう知識を前提にいろいろな仕事を進めてるんですね…。
正直、舐めてました、すみません。
とりあえず、せっかく買った本なので「毎日90分」って決めて、内容を理解できようができまいが頭から読み進めています。
そうするとビットマップとかシーケンスとか、なんとなく僕の受け持ち付近の知識も含まれてるんですね。
ただ、その内容に関する「過去問」を正解できるかどうかは別の話っぽいです。
問題の出されかたに、まったく馴染みがないのですよ。
いま思っていることは「オレはこんなにも、ものを知らなかったのか」です。
デザイナーとはいえ、Webデザイナーという立場でいろんなプロジェクトに参加していて、自分でhtml、css、JavaScriptくらいは触っていたので、大まかな分類でいうと「IT寄りの人」だったんですよね、たぶん。
それっぽい質問をされることも多かったですしね。
ただ、ここまで自分が無知だった事実を突きつけられると、半分は「マイッタな」なのではありますが、もう半分は、どういうわけか「すごいな。いいぞ」という気分になっています。
おそらく、そのうち受験を申し込むことになると思います。
いっぱい知ったかぶりしてたよね
IT技術に関する包括的な知識不足もそうですが「自分の受け持ち分野付近でも、いろいろと伝える力が不足してたなあ」という気になっています。
プレゼン力の有無とか、メンバーの要望をくみ取る力みたいなものじゃなくて、専門分野の知識と専門外の知識が混ざりあったようなの問いに対する説明力のレベルが相当低かったなあ、と。
早い話が、「知ったかぶり」をまとめてパッケージ化したような物言いをよくしてたんですよね。
どうしても、知ってることだけを抽出して応えるだけでは済まないケースが多いですからね。
質問をして来る人にとっては、何が誰の持ち場なのか区分けできませんしね。
自分の領域の話をしてても、なんとなく近いけれども専門外の話も混ぜざるを得なくて、そのへんは「聞きかじりの言葉」を詰め込んで繋ぐのです。
僕が系統的な知識をちゃんと学んでいれば「ここは専門外なので、一般論になっちゃいますけど」みたいな言葉を添えて、伝える内容を上手に仕分けできたんでしょうね。
知識がないということは、自分の弱味も認識することができないってことなんですよね。
これは、なかなか恥ずかしいことです…。
知識は、ただそれだけで尊い
ここのところずっと「損得関係なく、知識というものはそれだけで尊いなあ」と考えることが多くなっています。
無職になって所得がなくなり、損も得もなくなってしまったからなのか? それとも人は老いると、そういうことを考えがちなのか? そのへんのきっかけは自分でもよくわかりません。
ずっと「IT技術」に関する知識との出会いについて書いてきましたが、庭に生えてる草とか木の名前なんかもそうですし、電気の配線にしても、キッチン用品の管理方法なんかについても同様なのです。
職業人時代って、どこかしらで肩肘張ってたのでしょうね。
自分が知識を持っていないことが、恥ずかしいと思っていたし、だからこそ「この知識は役に立たない」「これは自分とは関係の無いことだ」って思い込むことにしてたんですよね。
前述の通り「知ったかぶり」で誤魔化すことも覚えましたしね。
そうして特定分野以外は、いつまで経っても知識を補充しようとしないし、学ぶことから遠ざかったままになっちゃってたんですよね。
そういう態度を「効率的だ」って考えてたふしもありますね。
自分の無知を認めたくなかったし、認めた上でそれを得るための労力を負担することから逃れたかったんですよね。
無職になった今だからこそ言い出せる戯言かもしれませんけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。