本を読んでいるのが、楽しい
2021.03.13
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ほぼ1日中、本を読みながら過ごしています。途中で気になることをググりはじめて、長時間PC前で過ごしちゃうことも多いんですけどね。僕は過去に手持ちの本をすべて捨てています。また書い始めたのですが、以前とずいぶん嗜好が変わっています。
断捨離で一気に捨てたのに、また買ってる
本を読んで過ごしています。
東京で暮らしていたときに、溢れんばかりの本を「断捨離だ」と、ひと月くらいかけて(一部を残して)すべて捨てたのですが、また買っています。
(参考:断捨離を実行することにします)
以前と違うのが、興味の対象が「電気工事」だったり「情報技術」「行動経済」「ブロックチェーン」みたいな、知識を増やす系の本に変わっているのです。
長い間、自分で買う本の9割は小説でしたからね。
数十年にわたって、ベッドで1時間程度、読書をしてから寝る習慣があったのです。
老眼が進んでテキストを追うのがつらくなったのと、横になった姿勢をキープしながら本を読み続けるのが苦痛になったので、YouTubeを観ながら寝落ちするスタイルに変わりましたけどね。
いま、本は昼間読んでいます。
作業台で事務椅子に座って読んでることもあれば、ソファに深く腰掛けて読んでることもあります。
職業人時代に、仕事に関わる本を読んでたときと同じスタイルですね。
いつの間にか、技術書( ≒ 知識増やす系)は昼の本であって、ちゃんと座って読むもの。小説は娯楽用の夜の本、ベッドで寝そべって読むもの、という区別の仕方になっちゃってたんですよね。
無職になって昼間暇なのと、夜はベッドでYouTubeを観ることが習慣化しているので、結果「昼の本」を買うことが増えてるんです。
頭の、これまで使ってなかったところ
再び本を読む習慣が復活して、手持ちの本をほとんど全部捨ててしまったことを後悔しているかというと、まったくそんなことはありません。
たぶん読書って「この本読みたい。取り寄せたい」と思うところから始まるんですよね。
書棚の中から読みたい本を探し出す感じじゃなくて、持ってないものを欲しがることから楽しさは始まっているのです。
そして、明らかに以前と嗜好が変わっています。
あれだけいっぱい買ってた小説、いまはそれほど読みたいと思いませんもんね。
かつては「仕事だから仕方ない」と、辞書みたいに必要な箇所だけを抜き読みしていた技術書を、読み物として最初から最後まで通しで読むことにハマっているのです。
しかも職業人時代ならば決して読まなかったような分野の本を、です。
まあ、途中で「こりゃいったい何を言ってるんだ?」と、本から離れPCに向かい、ググりはじめて、そのまま長時間PC前で過ごすことも多々ありますけどね…。
頭の中の、これまで使ってこなかったようなところに刺激を与えてる感じが、なかなかいいです。
このブログでも以前書きましたが「第二種電気工事士の資格、本気で取ろう」と思いはじめて、参考書を頭から読み始めたのが昨年(2020年11月)のことでした。
(参考:セミリタイア人にとっての、季節ごとのタスクと余白)
それから、いろんな分野の本を買って片っ端から読むようになって、だいたい3・4ヶ月程度経ったのですが、ちょっと物を考える角度が変わってきた感じがしますね。
自分の中に、ちょっとした多様性が芽生えた感じです。
先日投稿した「点を作ってりゃ、そのうち線になるでしょ」では、こうしてこれまで関心のなかった分野の技術書を読み漁ってる自分を指して「リハビリだな」と表現しています。
まあ、そんな感じですね。
何十年も同じことを生業にしてたのですから、頭がカチカチになってるのですよ。
kindle版はダメだ、本は本がいい
大量の本を捨ててスッキリしたあと、何冊かkindle版の書籍を買ってみたことがあります。
kindleそのものは持っていなくて、iPadにkindleアプリをインストールして使っています。
え〜っと結果、ダメでした。
オッサンなので、長年培った「本」の手持ち感みたいなものが染み付いちゃってるんでしょうね。
数ページのドキュメントならば、もう何年も前から「紙やめて。PDFでくださいよ」って言う派なんですけどね…。
何百ページもある長文となると、あのギュッと表紙を反らせる感じとか、ペラっとページをめくる感じ、いま読んでるところに指を突っ込んで場所を移動する感じも含めて「読書」になっちゃってるんですよね。
朝ランのときに、景色が変わらないとつまんないのと似たような感覚なのだろうと思います。
手持ち感なんて、読書の本質ではないはずなんですけどね。
ダメなものはダメなのです。
いっときは「もう書籍もデジタルの時代、場所を取る本なんか不要。要は慣れだよ」なんてことを思ってたんですけどね。
どうやら、慣れるのが無理っぽいです。
「iPad miniとかにすればいいのかな?」などと思わないこともないのですが…。
いまんとこ「本はやっぱり本という形に限るな」と思っています。
また、ものが増えるかもなあ
手書きメモも、復活しています。
ずっと「メモなんてスマホでいいじゃん」と思ってたんですけどね。
技術書を読んでると、どうしても手を止めてちょっとした図面を書いて内容を反復したり、手計算をしたくなるときがあるのですよ。
計算なんて電卓アプリのほうが速いに決まってるのですが、手計算の工程を残すことが「メモ」の目的だったりしますからね。
問題は筆記具です。
昔いろいろとこだわってて、ステッドラーとかロットリングの「いい」とされている筆記具をそれなりには持っているのですが、どういうわけかシャーペンに関してはノベルティかコンビニの100円シャーペンしかないんですよね。
オッサンは指が乾いてるので、チープな筆記具がものすごく使いにくいのですよ。
若い頃は、これで十分だったんですけどね。
しかも、家中探しても「消しゴム」なんて、いっこもないし、昔持ってたはずの15cm程度の金尺も見当たらないし…。
メモ帳も含めて、ちょっとその辺りのものを買い増そうかなあ、と思っています。
というかメモを取りながら本を読むって、何年ぶりだろう?
もしかして社会人になったばかりくらい以降、そんなことしてなかったように思います。
左手で技術書を開いて押さえながら、右手でキーボード叩いてたことは何度もありましたけどね。
若かった頃、学校の先生だったり、会社の経営者だったり、周囲のオッサン・オバサンってちゃんとした筆記具持ってましたよね。
当時は「文房具屋行ったら、数100円で売ってるのに、何千円何万円もするもの買っちゃうんだ…。こりゃもうアクセサリーだな」なんてことを思っていました。
でも、自分がオッサンになってみて気付きました。
あれって、加齢とともに指が乾いて安い筆記具が使いにくくなるからですね。
やっぱ、高いほうがちゃんとできてるんですよ。
最近は、安そうなんだけどちゃんと「持つとこ」の素材や太さに工夫がされてるものも多そうなんですけどね。
そんな感じで、久々に手書き用の筆記具に関心を持っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。