デジタル断ち、効能あるかもしれない
2021.03.14
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。1日のうちのデジタル時間を減らして、ノンデジタル時間(=アナログ時間)を増やすと、少し快適さが増すような気がしています。今までモニタ前で過ごす時間が長すぎたんです。単純に本の良さを再認識したからだということも影響してるんですけどね。
たまたま訪れた、デジタル時間の少ない日
昨日は、午前10時過ぎに人が迎えに来て出かけることになっていて、昼過ぎまで、スマホにもPCにも触れられない時間を過ごしました。
朝起きて日課のブログを書いたあとは、お風呂に入ったり、久々に引っ張り出して来なきゃいけない服が黄ばんでないか? とか、サイズは大丈夫か? などとチェックしたり、しながら迎えが来るのを待っていました。
昼過ぎに解放されたあとも、スーパーへ買い出しに行ったり、読みかけの本を読んだりして過ごしていました。
その後も食事に出かける約束があったので、ちょっと早めの時間から散歩がてら歩いて市内の中心部に向かい、帰ってきたのは夜の10時くらいだったのかな?
それから、ベッドに入ってYouTubeを観ていたのですが、おそらく10分もしないうちに寝落ちしていました。
1日のうちで視界にデジタルデバイスのモニタがあった時間なんて通算3時間もなかったんじゃないでしょうかね。
デジタル中毒の僕にしては、めずらしく訪れた「ほぼアナログな日」でした。
たった1日で「こんなに変わったよ!」なんていうつもりはありませんが、気分はちょっと爽快ですね。
毎晩お酒を飲む習慣のある人が、たまたま飲まずに寝ちゃって、翌日「寝起きってこんなに気持ちいいものだったっけ?」って気づく感覚に近いと思います。
だからといって「酒、やめた」とはならないんですけどね…。
思えばこの数ヶ月、バランス変わってた
昨日「本を読んでいるのが、楽しい」という記事を投稿したように、1日の大半を本を読んで過ごしてることが多くなっているのですよ。
とはいえ、本を読みながら余計な連想が始まっちゃって「あれはどういうことだったっけ?」「これについても、もっと知りたいな」と、結局PC前に移動してググり巡ったり、新しい本を物色したりしてる時間も多いんですけどね。
体感で言うと、起きてる時間のうち、デジタル時間とノンデジタル時間が半々になってる感じでしょうかね。
これに関しては数ヶ月が経過していますので、はっきりと自覚しています。
ストレスが減って、気分が良くなります。
おそらく理由は2つあるんじゃないかな? と感じています。
- 本を読むことで、まとまった情報を仕入れられてること
- デジタル時間が減った結果、SNSから遠ざかってること
もしかすると、これ以外にもいろいろとあるのかもしれませんが、パッと思いつくのはこの2つですね。
「本」って優れてますよね。
ネット上のぶつ切りの情報じゃなくて、ちゃんと章立てまとまっていて、ひととおりの知識が得られるように工夫されてますもんね。
ネット上にも上質なコンテンツは存在するのですが、まずは「玉石混交」が前提ですからね。
もちろん、本にも「クソ本」はありますけど、総じて何かを体系的に学ぼうとすると、まだ本に一日の長がありますよね。
ずっとモニタ前が定位置だった
ずっと、仕事も調べ物もコミュニケーションもモニタ越しで済ますことに馴染んでいました。
いまだに、PCが3台並んでる作業台で食事をするし、お酒も飲んでいます。
ひっくり返してしまったときの被害を考えて、汁物があるときにはメインマシンは蓋をして立てるのが習慣になっています。
ひとつのサブマシンでYouTubeを観ながら、もうひとつのサブマシンでニュースを読みながらご飯を食べてます。
朝起きて夜寝るまで、朝ラン、トイレと風呂、買い出し以外はずっとPC前にいるのが習慣でした。
このコロナでリモートワーク生活を初めた方々も、そんな生活になってるんじゃありませんかね?
人によって分かれると思うのですが、ハマる人にとっては、この生活ってとことん快適ですよね。
効率もいいですしね。
ただ、無自覚にメンタルやられるんですよね。
とくに暇つぶしにSNSをずっと眺め続けるのって良くないように思うのです。
以前「facebookを使うのをやめた理由」という記事を投稿したように、ほんっとに気が向いたときくらいしかfacebookは使っていません。
ときどきメッセージを送って来る人がいるので、アカウントは持ち続けてますけどね。
参画先のfacebookページの「管理者」にもされちゃってるし…。
そして最近、デジタル時間が減少したこともあり、twitterもあまり開かなくなっています。
この「萩ドットライフ」アカウントに関しては、ブログを投稿するたびに転載するので、必ず1日1回は開くことになるんですけどね。
これからも「あえて」そうしてみるかな
もう何年も会ってないし、さほど仲良くもない友人知人の近況が、望んでもいないのに目に飛び込んでくるし、ちゃんと把握できてるのって、なんとなく違和感があるんですよね。
むしろ、関心を持たないし、知らないほうが自然だと思うのですよ。
反面、会ったこともないし、おそらくこれからも会わないであろう方が、自分と似たような考えをポロっとつぶやいてるのを目の当たりにすると、ちょっとホッコリするんですけどね。
ここ数ヶ月間、デジタル時間とノンデジタル時間のバランスを変えてみて、ちょっとノンデジタル時間(=アナログ時間)の効能を見直しています。
とくに何らかの知識をまとめてインプットしたいときには「本」がなかなかいいですよ。
分かってたことではあるのですが、改めてそう感じるのです。
ちょっと「なんでもかんでもデジタル」が、行き過ぎていたように思っています。
本って「けり」がつくんですよね。
読み終わったら、そこで終わりですから。
次は「もっと深くて詳しい知識を」なのか「別の分野に」なのか、そこから考えられるのです。
ネット上だと、ググり続けたら無限に情報があって、わけのわからない沼にはまり込んでしまって、手の離し時がわからなくなったりしますもんね。
こんなことを書きつつも、また数ヶ月経ったら、1日中PC前で過ごす日が戻っているかもしれません。
でも、もうしばらくは「あえてデジタルから離れる時間」を意識しようと思っています。
ここまで書いてみて、「そういや、前にもこんなこと考えてたな」などと思い、過去記事を検索してみると「デジタルデバイスから離れるための朝ラン」なんて記事を投稿してましたね。
去年(2020年)の6月か…。
どうやら定期的に、こんなことを考えるようにできてるようです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。