資格不要論について考えてみた
2021.03.16
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ここのところ資格の取得に目標を置いて知識を仕入れたり、関心の持ちどころを整理していますが、「資格不要論」って言葉に出会うことが増えてきましたね。僕も職業人時代は、不要っていうよりも無関心でしたかね。そのへんについて考えてみました。
「資格不要論」なんてものがあるんですね
いまんとこ、2つの資格の取得に挑もうと思っています。
過去に何度かこのブログでも書いていますが、
- 第二種電気工事士
- 基本情報技術者試験
です。
第二種電気工事士は、そろそろ2021年度上期試験の申込の時期じゃなかったかな? 「やる、やる」言ってるばかりじゃ仕方ないので、申込が始まったらすぐに応じるつもりです。
そのほうが本気になりますからね。
基本情報技術者試験については「まずは参考書を買ってみた」レベルです。
春の試験はすでに申し込み受付が終わっていて、秋の試験しか受けられないないみたいなので、これまた申し込んでから本気モードになろうかと思っています。
この2つの試験を受けようと決めて以来、ネット上でググるテーマも、YouTubeで観る動画もそっち方面のものが多くなって来ています。
過去問集やら、解説をしているサイトをいくつも見つけてるし、毎日のように対策動画を観続けています。
ネット上を回遊していると、少なからず出会うのが「資格不要論」なんですよね。
どこかでインフルエンサーの方が「資格なんて何の役にも立たない」って発言していて、それに対して「自分はこう思う」みたいなことをみんなで語り合ってる場面に出くわします。
独占業務の有無で、意味合いが違うのかもですね
僕が受けようとしている「第二種電気工事士」と「基本情報技術者試験」、この2つ、ちょっと視点を変えて考えなきゃいけないものだと思うのです。
第二種電気工事士に関しては、これを取得していないと「一般用電気工作物」と呼ばれる、簡単に言うと一般住宅の屋内配線等の電気工事に従事することができません。
たとえ自宅であったとしてもです。
これを「独占業務」といいますね。
決まった資格を持っていないと従事してはならない業務のことです。
ちなみに僕、電気工事の知識や技術には興味あるんですが、職業としての「電気工事士」にはまったく関心がありません。
ときどき、
「いま第二種電気工事士の勉強してる」
「えっ、電気工事士になるの?」
「いや、ならないよ」
ってやりとりが発生しがちで、なかなかウザいです。
でも、電気工事士という職業に就きたい人にとっては「資格不要」なわけありませんよね。
考える余地なんかどこにもなくて「取るしかないでしょ」に決まってるのです。
一方、基本情報技術者試験には独占業務はありません。
合格認定されなくても、プログラマにだってSEにだってなれますからね。
たぶん僕と同年代のプラグラマとかで、フリーでガシガシやってる人なんて、こういうの持ってないんじゃないかな?
それ以前に、話題になったことすらないので、なんとも言えないのです。
職業人時代、まったく資格に興味ありませんでした
言われて見れば、僕も無意識の「不要論者」だったのかもしれません。
前述の通り「要/不要」すら考えたことがありませんでした。
おそらくWebデザインに関する、いろんな資格もあったりするのでしょうが、何があるのかも知らないし、受けようと思ったことが1回もありませんでした。
当然、何も取得していません。
たぶん「ずっと食えてたから」だと思うんですよね。
資格を保有することよりも、クライアントの業務委託者リストに自分の名前が乗ってることのほうがはるかに重要でしたからね。
しかも僕の場合、デザイン教育も工学教育も受けずに、この仕事を初めてしまいましたから「みんなで目指そう」的な期間を経験してないんですよね。
(参考:何歳になってもコンプレックスを克服できない)
と、ここまで書いてみて「あれ? 前にも資格がどうたらって記事を投稿したことがあるぞ」って気づいて、過去記事を検索したら「資格よりも肩書よりも、いいやつが最強」なんて記事を投稿してましたね…。
自分では「資格のことなんて考えてこともなかった」なんて言いながら、影の部分でうっすらと気にしてるんでしょうね。
まあ、そんなもんです。
柔道の黒帯みたいなものかな? と思うのです
ここであらためて基本情報技術者のような、独占業務のない資格についての要/不要を考えてみると、僕は「不要だな」と思います。
でも、受験するか/しないかといえば、いまのところ「受験する」を選択しています。
理由は、この分野に関心を持っちゃったものだから、学習してみたくて、効果測定もしたいからです。
入門者なのです。
これから取り組もうとしている学習が、僕の人生にどんな影響を与えてくれるかなんて考える段階じゃなくて「とりあえず、目の前にあるもんに向かってみるか」くらいのフェーズなんですよね。
たぶん、プログラマーとしてモリモリに仕事を請けてる人からしてみれば「試験なんか受けてる暇あったら仕事やれ」ってことなのだろうと思いますが、僕の場合は別にこれを職業としたいわけでもないのです。
柔道で言う「黒帯」みたいなものかな? と思っています。
白帯のままでもいいのですよ。
大会に出て、対戦相手をバンバン投げて、優勝したり全国大会や世界戦の代表に選ばれるヤツがいたら、そいつが一番強いに決まってるのです。
そいつに「黒帯なんて、無駄だよ」って言われたら「そうね」と答えるしかないのですよ。
でも、その白帯のチャンピオンは、ものすごく稽古したから最強になったはずなんですよね。
大切なのは、そっちのほうだと思うのです。
道場に通い始めた子供が、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちが自分とは違う色の帯をしてるのを見て。
ちゃんと稽古して試験に合格しないと黒い帯をしちゃいけないことも知って。
「カッコいい、自分もあれ欲しい」って思って、黒帯欲しさに稽古に通い続ける、みたいな感じがとてもいいのです。
昇段試験に受かって、初段(=黒帯)を取ったときには大喜びするかもしれないけれども、何年かすればそんなこと忘れると思うのです。
自分にとって黒帯なんて当たり前のことになっていて、次の目標、次の楽しさと向かい合ってるはずですからね。
独占業務のない資格から得られるのも、そのくらいの効能なのかな? と思います。
「飯が食える」証になんか、なりゃしません。
生業にしようと思ったら、一生、新技術を獲得しつづけなきゃならないし、流行や思考方法をアップデートし続けなければならないのです。
そのための「最初の目標」として資格を位置づけるのは、とても有効だと思います。
前述の「試験なんか受けてる暇あったら仕事やれ」の逆です。
自分が入門者なのならば「要/不要についてグダグダ考えてるくらいだったら、まずやれ。取れ」でいいんじゃないでしょうかね?
その分野で必要な知識を網羅できたか、できてないかを客観的に測定することって、決して無駄ではないと思うのです。
◆ ◆ ◆
それよりもですね。
SNS上とかで自分の意見と違う人の人格や人生を否定しながら、自分の意見に閉じこもろうとするの、やめたほうがいいです。
資格の要/不要よりも、そっちのほうがテーマとしては重要ですよ。
資格なんて、あるときには「そんなもん要らね」だったりするし、あるときには「ちゃんと通ってから言おう」って考えてみたり、自分の中でもあっちだったりこっちだったりするのです。
自分がいま置かれてる状況だったり、なんとなくの周囲の雰囲気に合わせて、好きなように頭を切り替えればいいんじゃないでしょうかね。
いちいち他人にガミガミ言うことでもないように思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。