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他人の趣味なんて、関心あります?

2021.03.19

こんにちは、萩ドットライフ()です。

昔から「ご趣味は?」という問いが苦手です。そもそも「趣味って、どんなものを指すんだっけ?」という時点でバグってしまうのです。好きでやってることならば、いっぱいあるんですけどね。その場で「趣味」として俎上に上げるかどうかは別なのです。

最近「ご趣味は?」って言ってくる人って減りましたよね

たぶん「SNSでつながれば、タイムラインにいろいろ書くから、それ読んで察しろ」ってことなのでしょうね。
ここ数年、面と向かって「なんか趣味とかお持ちだったりするんですか?」って訊かれることが少なくなってるように感じます。

もしかすると、SNSがどうこうは関係なくて、オッサンになった僕が他人から関心を持たれなくなってるだけなのかもしれませんけどね。
それならばそれで、仕方がありません。

実は僕、若い頃からずっとこれが苦手だったのですよ。
そういえば、履歴書のフォーマットにも「趣味」とか「特技」みたいなことを書く欄が含まれてませんでしたっけ?

今でも使ってるんでしょうかね? あれっていったい、何が知りたかったんだろう。

たいていの場合「読書とか昼寝っすかねえ」みたいなものを挙げていました。
こんな感じなら、たいして親しくもない人から「今度いっしょにやらない?」とか言われて、面倒くさいことになりそうもありませんからね。

履歴書には、もうちょっとしっかりしたことを捏造して書いてたと思います。

いっつも「え? 趣味ってなんだよ」ってところでバグっちゃうんですよね。

あまり深く考えずに、

  • 身体的 × 単独
  • 知的 × 単独
  • 身体的 × 集団
  • 知的 × 集団

みたいな4象限に当てはまるものをひとつずつくらい準備しといて、場面々々で使い分ければよかったんでしょうけどね…。

とりあえず「趣味ってなんのことだっけ?」と、ググってみました。

しゅ‐み【趣味】
1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」
2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「趣味の悪い飾り付け」「少女趣味」
3 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
「さびた眺望(ながめ)で、また一種の―が有る」〈二葉亭・浮雲〉
出典:趣味とは – Weblio辞書(2021年3月19日現在)

最初の「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」ってやつが、たぶん他人が訊いてくる「趣味」ですね。

毎日やってることは、趣味なのか…?

職業と関係なく、かつ楽しさを感じてることって、「趣味」だってことになっちゃうんですね。

たとえば、こうして毎朝書いてるブログも、週に何度か出かけてる朝ランも、「そろそろ草が生える季節になってきたなあ」と時間をみつけて取り組む草むしりも、それなりに楽しさ成分は含んでますから、趣味なんですね。

この数ヶ月ハマってる第二種電気工事士試験の過去問を解き続けたりして暇を潰してるのも趣味ってことになっちゃうんでしょうかね?
でも、他人から「ご趣味は?」って訊かれて「ある試験の過去問を1日中解いてます」って答えたら、ちょっと微妙な雰囲気になりゃしませんかね。

かつて「自分は多趣味なので、ひとつのことに集中できないんです」って方と同席したことがあります。
状況がよくわからなかったし、あまり深く掘り下げるのも面倒くさかったので「そりゃ大変ですねえ」みたいな返事をして誤魔化したような気がします。

今なら、なんとなくわかるような気がします。

こうしてブログを書いてる最中にも「明日は雨かあ、今日走りに出といたほうがいいな。ちょっと中断するか」と考えてますし、朝ランしてる最中にも「人んちの庭を見ながら、うちも雑草生えてるんだよなあ、庭いじりの楽しい季節だなあ」なんてことを考えています。

ひとつの趣味に向かい合ってる最中に、別の趣味に手を付けたくなって、居ても立っても居られなくなっちゃうんですよね。
朝ランも草むしりも「趣味」だというのならば、ですよ。

でも、僕は朝ランもブログも「趣味」だとは思っていないんですよね。
このブログでも何度も書いていますが「習慣」だと思っているのです。

楽しくてやってるという時期は過ぎていて、生活の中での決まりきったことみたいなものなのです。
ルーティンとかしきたりという言葉のほうがしっくりくるのです。

たぶん、いまの僕が他人から「ご趣味は?」って問われたら「とくにないっすね」と答えると思います。

他人の趣味なんて、関心ありませんよね

おそらくみんな、本当は他人の趣味なんて関心ありませんよね。
かつ、自分のまったく想像できない分野の答えなんかが返って来た日にゃ、そこで思考停止せざるをえないというリスクもはらんでいるのですよ。

たぶん、話の糸口を探ったり、流れを変えたい程度の「なんか趣味ってあります?」なのだろうと思うのです。

だって僕自身が、他人の趣味なんてサラッサラ興味ないんですもん。

他人に関心がないわけじゃありません。
好きな人や尊重している人が、いつも使ってるものとか、よく行ってる場所なんかにはものすごく興味は湧きますよ。

たぶん、順番が違うのです。

なので「ご趣味は?」と問われたときって「ああ、なんか話を変えたがってるな」と感じるくらいで構わないように思うのです。
本当に趣味ってほどハマってるものじゃなくても、ちょっと関心をもったものを引き合いに出して話の方向性を調整してみるくらいが一番いいんじゃないでしょうかね。

その昔は、嘘ついてまで「趣味」をひねり出してましたからね。
なんだか「趣味とかとくに…」って言っちゃうと、浅い人間に見られちゃうような気がして、怖かったんですよね。
(参考:知ったかぶりはダサいなあ、とは思うものの

「え! なんでオレの趣味なんて知りたいの?」って構えるほどの問いじゃなかったんですよね。

「ご趣味は?」っていう、聞き方が問題なのかもですね

人それぞれに、自分が好きでやってることってそれなりにあると思うのですよ。
「朝はギリギリまで寝る。家に帰ったら、メシ食ってテレビ観て寝る。それでオッケー」でもぜんぜん構わないと思うのです。

そしてそれを「趣味」だと認識してるかどうかも、人それぞれだと思うんですよね。

もしかすると、自分が好きなことを他人に伝えたいかどうかでも変わってくるような気がするのです。

たとえば自分が好きでやってる活動を、とにかく他人にしゃべりたい、楽しさを共有したいという人は「私にはこんな趣味があります」から、話を膨らませたいでしょう。
逆に、単独でコツコツと取り組むのが好きで、他人からあれやこれや言われたくない人は「趣味かぁ。特にないっすね」で、話を閉じようとするでしょうしね。

訊いてくる相手だったり、持っていきたい会話の流れだったりにもよりますよね。

「ご趣味は?」っていう直截的な訊き方をしてくる人と、あまり「趣味」の話をしたくないなあ、というメカニズムが働いているのかもしれません。

前述のように、僕は自分が「趣味を持っている」とはあまり感じていないのですが、そのときどきで変わりますが、好きで取り組んでることはいっぱいあります。
そのことで意気投合した方もおられますし、「これをやることによって、ものの見え方が変わったよ」みたいな話で盛り上がったことも多々あります。

その中で一回たりとも「ご趣味は?」という問いが糸口だったことはなかったように思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。