ついつい、前例を探してしまう
2021.03.22
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。前例主義って、悪口として使われることが多いですよね。自分の頭で考えることを放棄してるふうな、ね。でも、前例に背中を押されて行動しはじめるなんてこともあるんですよね…。他人を説得するときにも有効だったりね。なかなかやっかいなのです。
ついやってしまうこと
無職になってセミリタイア人になろうと悩んでいたときによくやっていたのは、すでにセミリタイア生活に入っている先人たちの懐事情を調べることでした。
「無職」「セミリタイア」「資産」「貯金」「投資」みたいなキーワードで、延々と検索を繰り返していました。
「何歳でセミリタイアされたんだろう?」「その時点での資産額は?」「年金は、厚生年金? 国民年金?」「前職は?」「家族構成は?」などなど…。
自分と似たような、というか都合のいいケースを見つけては、「これならオレもいける」と安心する材料にしたかったんですよね。
新しいことを始めるときって、ちょっとおっかないのですよ。
似たような境遇の方が、上手くやってるのを確認しておきたいのです。
思い起こしてみると、いつも何かをはじめるときにはそんな感じのことを悶々と考え続けるフェーズがありました。
他人が上手くできてるからといって、自分もそうだとは限らないに決まってるんですけどね…。
何かを始めるときには必ず「前例探し」の罠に陥ってしまうのです。
結局は、腹をくくって行動し始めてしまうと、前例なんかどうでも良くなっちゃうんですけどね。
実際に始めちゃったら今度は「自分の行動を、こじつけでもいいから肯定するための材料を探しまわる」という罠に陥りますけどね。
僕はこのブログの中で「資産運用」というカテゴリを設けています。
ときどき「セミリタイア 資産額」みたいなキーワードで来訪される方も多いので、似たような方が多いんだろうな、と推察しています。
だってこのブログ、このキーワードでそんなに上位にいるわけじゃありませんからね。
検索結果に表示されたサイトを片っ端からご覧になっていないと、僕のブログにはたどり着かないはずなのです。
僕もセミリタイアすることを決めるときには、そんな感じでした。
このブログが誰かの安心材料になってくれれば、それはそれで嬉しいのです。
本当は、対極にいるつもりなんですけどね
社会一般に「前例主義は悪しきもの」ってことになってますよね。
僕も、人生のうちで何度かは「新しいことをやりたいの? 誰かの真似がしたいの? どっち」みたいなことを口にしたことがあります。
いざ自分のことになると、全力で前例を探し回るくせに、生意気ですね…。
実際にいろんなことをやってると、先人やら、現在進行系でうまくできてる人・組織をベンチマークしながら計画を立てたほうが上手くいく場合もあるし、そういう手法も確立されているので、仕方ない部分もあるんですよ。
とくに仕事の現場とかで、チームで作業してるとやたらと「参考事例」みたいなものを求められたりもしますしね。
自分らにとって都合のいい前例しか集めようとしないんですけどね…。
普段は、せっかく自分がやるんだから、前例に囚われず「まずは思い通りに」「調整は後からでいいや」と思ってるつもりではあります。
前例主義を完全に拒否するかというとそんなこともなくて、なんとなく「じゃない方に寄っておきたい」くらいの感じでしょうかね。
でも、過去に自分がやってきたことを振り返ってみると「すでに誰かがやったことを、自分風にアレンジしてみよう」みたいなことを、いっぱいやっちゃってるんですよね。
口では「失敗しちゃってもいいじゃん。『こうやったら失敗した』が分かって、プラス1だよ」なんてことをいいながらも、やっぱり失敗は怖いし、他人に「どうだ、オレがやったら上手くいったぜ」って威張りたいものなのですよ。
そういうもんだから仕方ないのか
ちょっと前に投稿した「資格不要論について考えてみた」でも触れたのですが、いま、電気工事と情報技術に関心を持っていて、それなりに勉強してみて資格試験を受けてみようと思ってるんですよね。
電気工事(第二種電気工事士資格)に関しては、今日(2021年03月22日)」から2021年上期の試験が受付開始になるので、すぐに申し込もうと思っています。
以前から予定していたことなので、それなりに勉強も進めています。
もういっぽうの情報技術に関しては「とりあえずは参考書を買った。勉強は…これからかな」って感じです。
だいたい何歳くらいの人が受験していて、合格率が何パーセントくらいのものなのかが、すごく気になってるのですよ。
いろいろとググってみて「10代から70代までの広い年齢層の方々が受験し…」なんて文言を見つけると、ホッとするのです。
心のどこかに「こういう試験って、オレみたいなオッサン受けないよね」って気持ちがあるのです。
たぶんどちらも、これから社会人になろうとしている世代の方々が対象っぽい資格ですもんね。
そういうの、ぜんぜん気にしない自分だったはずなんですけどね。
たぶん「ものすごく気にする」性格なものだから、肩肘張って「そんなの気にする理由って、何?」みたいな態度を取り続けていたのかもですね。
そのへんは、どちらが本当の自分なのかは良く分かっていません。
でも「前例なんて関心ないし、若い奴らの中にオッサンひとり混ざってても気にしないよ。みんなそうでしょ?」って言ってるほうがカッコ良さそうだな、とは思っています。
なので、今後も言い続けるような気がします。
「前例」とはやっかいなものですね
こういうのをやりたくて無職になったんですよね。
ずっとフリーランスのデザイナーを職業としつつも、一方で「包括的にIT情報の勉強に取り組んでみたいな」とか「実際に手を動かして工作物を作る、知識とか技能を身に付けたいな」みたいな欲求をずっと持っていたのですよ。
今から思えば「仕事やりながらできたんじゃない?」なんてことも思います。
でもなかなか気が乗らなかったんですよね。
「このクソ忙しい今にやること? それ」みたいなことを自分も他人も感じることが嫌だったんですよね。
それよりも仕事に関わることをやってたほうが、楽しかったし、役に立つような気がしてたから、そっち側に振り向けるパワーが足りなかったんでしょうね。
(参考:職業人時代。僕は役に立つ知識ばかりを得ようとしていた)
もしかすると身近にもしくはSNS上に、似たような境遇の方を見つけることができて「この人ができたのならば」という気になれたら、少しは違っていたのかもしれません。
結局は冒頭で述べたように、セミリタイアしている方々の「前例」に背中を押されて仕事を辞めることに決めたんですけどね。
この選択がベストだったのかどうかは、分かりません。
まだ、道半ばですからね。
でも、ワーストは回避できたような気がしています。
いったん仕事に区切りを付けるということを言い出せず、かといって新しいことを始める力を得ることもできず、何も変わらないまま時間が過ぎていくことだけは避けたかったのです。
前例主義という「誰かの後追い」をしているだけなのか? それともちゃんと自分で考えた上での行動なのか? 「どっちにも取れるなあ…」という感じが、ずっと残っています。
「前例」というものは、自分を納得させたり、他人を説得するためにものすごく有効だったり、それでいて自分の頭で考えることを放棄しているふうな底の浅さを醸し出してきたり。
なかなか、やっかいなものだなあと思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。