セミリタイアして失ったもの
2021.03.29
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「失ったもの」と言いましょうか「必要のなくなったもの」と言いましょうかね。こうしてブログネタを探し回っていなかったら、失ったことにすら気づかなかったと思います。セミリタイアしてから、一度も「競争」というものを意識していないのです。
他にもいっぱいあるんでしょうけどね
なんだかずっと「セミリタイアしたらストレスがなくなった」とか「煩わしい人間関係から解放された」みたいな良い方向に変化したことばかりを、このブログで書き綴っています。
概ね「セミリタイアして正解だった」と思っていますし、思い込もうともしてますからね。
反面、セミリタイアすることによって失ったものもいっぱいあります。
たとえば先日、投稿したように「達成感」なんていうのもそのひとつですよね。
(参考:セミリタイア人が求める達成感)
他にも「仕事仲間」とか「打ち上げ」とかもそうだし、キリキリと胃の痛くなるような思考なんていうのもそうですよね。
職業に属する形で獲ていた感情や関係って、自分が思っているよりも多いものなのです。
総じて「職業人時代は煩わしかったけれども、失ってしまえば少しさみしいな」くらいのエリアに、いろんなものが散らばってたんですよね。
おそらく定年退職と同時に老け込む人が多いのは、自分の意志とは関係なく、そういう「何かを失う」状況に置かれるからなんでしょうね。
僕の場合は、自分で選んだことだから、どうにかこうにか折り合いが付くんですけどね。
セミリタイアして失ったものの中に「競争」があります。
職業人時代はずっと同業者や仕事仲間を、ライバル認定したりベンチマークしたりして競いあってきましたよね。
その人本人のことを、好きか嫌いかとはまた別のレイヤーでね。
そういうのが一切なくなるのです。
もう無職になって1年半くらい経つのですが、ようやく「そっか、競争ってのがあったな」と思い出したくらい意識しないものになるのです。
僕らはずっと競争してきた
子どものころからずっと、他人と競うことで自分の成長を感じるしくみになっていたんですよね。
「乳離した」とか「立った」とか、周囲の大人たちも含めてね。
自分自身がそれを感じるようになるのは、幼稚園や保育園に通い出すくらいからでしょうかね?
集団で生活をするようになると、走るのが速い子や、お絵かきが上手な子、なんて、他人の個性を認識し始めますからね。
「自分はどうなんだろう」と、他人と比較することで自分の輪郭をつかみ始めるんですよね。
それがいつしか「競争という機会が、自分の成長を築いてくれる」みたいな考えかをするようになっていったのです。
何十年も疑うことすらしませんでしたね。
スポーツなんて競争そのものがコンテンツ化されてますもんね。
社会に出ても、地域や組織に大きな利益をもたらすように求められるのです。
お客さんをいっぱい集めるお店のほうが「良いお店」だということになりますし、売上の多い営業マンが「良い営業マン」なのです。
当然、そこでは足の引っ張り合いも起こって、ちょっとみみっちい感じもなったりしますけどね。
競争。そんなに嫌じゃなかった
僕は、30代半ばでフリーランスになったのですが、若干、競争の質が変わったように感じました。
会社員時代のように「同じ部署の○○さん」「いつも顧客先で相見積もりになる○○社」って感じの設定じゃなくなるんですよね。
調子よく順調に仕事が回るようになると、いつも現場で会うことになる人や事務所を意識するようになるし、なんとなく「この人と競ってるんだろうな」みたいなことを感じることになります。
周囲から、そういう言われ方をすることもありますしね。
逆に仕事のなかったころには、誰と競争していいのかすら分からなくなっていました。
下手をすると「オレに仕事をくれない、業界が、社会が敵だ」みたいな歪んだ考え方に陥りがちなんですよね。
ちゃんとライバルを認識できたほうが、精神的に楽なのですよ。
「ちゃんと大会に出場できてる」感じがするのです。
だから僕は、そんなに競争が嫌ではありませんでした。
年齢とともに、競争関係にあることは受容しながらも「自分は自分なりの…」という考え方というか、いなし方ができるようになりますしね。
スポーツのように、競争そのもので競ってる(なんか変な表現ですね)わけでもありませんしね。
「競争できる場にいる」という安心感のほうが勝っちゃうんですよ。
「どうってない」ことなのです
さて、その「競争」を失って、1年半が経過しようとしています。
今一度考え直してみると、セミリタイアしたから失ったものじゃなくて、セミリタイア「すると決めた」から失ったものだという気もします。
ということは、もう数年が経過してるんですよね。
こうして「最近ブログネタに困ってるんだよなあ、何かないかな」と考えていなければ一生思いつかなかったかもしれません。
そのくらい「どうってない」ことなのですよ。
おそらく他にもいっぱい「失ったもの」ってあるんでしょうね、自分で認識してないだけで。
というか「上手く言語化できないけど、なんとなくパラパラとあるなあ」という気もしています。
かつて「競争によって、オレは成長できてる」と思っていた、あれは何だったんでしょうね?
競争を失って、自分は成長を止めてしまったのかというと、あまりそんな気もしないのです。
新しい暮らし方と向き合って、日々発見していくことは多いし、職業人時代には「仕事の役に立たないから」と、敬遠していたことにも関心を持つことができています。
(参考:職業人時代。僕は役に立つ知識ばかりを得ようとしていた)
振り返ってみると「競争によって成長」っていうのは、ただの「気の持ちよう」に過ぎなかったのかもですね。
競争する過程で、パワーアップ感や新感覚を得ることが嬉しくて、自分を成長に向かわせてくれてたんじゃないでしょうかね。
競争はあくまでも手段だったんですよね。
セミリタイアすると、失うものも多いのです。
でも「これって元々、要らなかったものなんじゃない?」とか「成長の過程で、別の何かと置き換え可能だったかもね」みたいなことにも気づいたりもするのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。