セミリタイアすると、仕事と娯楽と余暇が等価になる
2021.03.31
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。考え方なんて、そのときの状況や精神状態で、どんどん変わっていくものなのですよ。「これからどうすんの?」なんて問われても、答えなどあるわけないのです。ただ、セミリタイアすると仕事と娯楽と余暇が等価になります。好きなように選べるのです。
で、これからどうすんの?
久しぶりにコミュニケーションを取った方と、挨拶の延長で互いの近況を訊ね合ったりしますよね。
「久しぶり、元気? 今なにしてるの?」みたいな感じのあれです。
僕の場合は、この1・2年の間に仕事を辞め、東京を離れ山口県萩市に移住しているので「なにしてるの?」に対して、どのように返していいのか迷うこともあるのです。
「適当にやり過ごす」モードと「ガッチリ近況報告する」モードの開きが大きすぎるのです。
多くの場合、適当に「リモートだから、どこでも仕事できるのよ」と、無職になったことには特に触れなかったり、「早期退職みたいなもんだね」みたいな答え方をすることもあります。
「時間取るけど、ちゃんと話してもいいか」ってこともありますけど、人と場面によりますよね。
話の流れで「無職になったよ」とか「セミリタイアしたよ」と告げながらやり取りをしていて、返答に詰まる訊かれ方が「で、これからどうすんの?」です。
これ、僕本人も答えを持っていないのです。
というか「どうすんの」から逃れるためにセミリタイア人になってるのですよ。
このへん、先日投稿した「この暇、苦労の末に作ったものなんだけど…」と似たようなニュアンスを感じています。
「どうにかするし、どうにもしない」のですよ、その時々で揺れ続けるのだろうな、と思っています。
「仕事をしてないと、1日中暇で退屈なんじゃない?」と言われることもあります。
暇であっても、自分で望んだ暇なので退屈ではないのです。
たしかに退屈を感じることがなくもありませんが、その退屈は決して不快なものではないのです。
禅問答のような、何を言ってるかわからないような話を続けるのも心苦しいので、このへんにしておきますが、スパッと答えるようなことでもないのです。
特に何かを決める必要もないのです
無職になったからと言って「もうこれで、生涯仕事をすることはない」と決めているわけではないのです。
だって、まだ法人も所有していますから、外形的には経営者ってことになってますしね。
この辺もちょっとややこしいんですけどね。
「無職だ」って言ってるわりには、「そろそろ決算やらなきゃな」なんてことも考えなきゃいけません。
収益はなくとも、決算日はやってくるのです。
心のどこかで「また気が変わって、何か仕事を探し始めるかな」という気持ちも残しています。
だから僕は「セミリタイア中です」って言い続けてるのです。
たぶん、死ぬ間際まで言い続けるような気がします。
僕のセミリタイアに対する定義って、ものすごく曖昧なのですよ。
- 何も考えずにダラ〜っと過ごす
- 職業人時代にできなかったことに取り組む
- 次の職業にたどり着くまでの中休み
これらすべてが真なんですよね。
だって、職業人時代の窮屈な感じから逃れるためにセミリタイアしたのですから、いちいち言葉の定義にこだわる気になんかなりませんよね。
何もかもをキッチリ決めていない状態を作ったのが今です、そして、そのこと自体を嬉しく感じているフェーズでもあります。
セミリタイア人にとって、仕事と娯楽と余暇は等価なのです
前項で触れたように、おそらくこの先、何かを「仕事」として取り組む日が、再びやってくるかもしれません。
ただ、そのためには娯楽として楽しんでいることを上回る、快適さや刺激が得られることを前提とするはずなのですよ。
僕の状況が変わって「生活のため」の可能性がないわけじゃありませんけどね。
いまの僕は、前項で述べた3点のうち「職業人時代にできなかったことに取り組む」に寄ってる状態にいます。
ずっと続けてると「しばらく何もせずにダラけたいな」と思う日が来るでしょう。
そこそこの手応えを感じると「仕事にして承認欲求を満たしたほうが、満足度高まるんじゃないか?」と思うこともあるでしょう。
ただ快適なのは、この3点に優先順位なんてないことなんですよね。
その時々の状況や精神状態によって、好きなように組み換え自由なのです。
いま楽しんで向き合っていることも、飽きたり、煩わしい義務感を感じたらやめます。
心地よく感じる義務感ってのもありますからね、これは「あり」です。
「一度決めたことだから」と拘束されるよりも、絶え間なく続く変化に対応し続けるために始めたセミリタイアですからね。
そのほうが自然なはずなのですよ。
それが物足りなくなってきたら、そのときはそのときで、また考えます。
自分の好きに選べるからいいのです
やることがあったりなかったり、暇が快適だったり退屈だったり、ストレスを求めたり無くしたかったり…。
そんなことは、ずっと変化し続けるはずなんですよね。
当然、僕自身も刻々と変わり続けてるのですよ。
だって「決めた。セミリタイア人になる」なんて言い始めたのが50代になってからです。
でも40代半ばくらいのときには「デザイナーが一生の仕事。80歳超えても、やる」なんてことを思ってたし、言ってもいましたからね。
だから、5年後も今こうしてブログに書き残しているようなことを考えているとは到底思えません。
冒頭で触れた「で、これからどうすんの?」に対する答えなんてあるわけないのです。
とりあえずのところ、こうしてセミタイアして感じるのが「仕事と娯楽と余暇を等価にすることはできた。この自由を望んでいた」です。
職業人時代は「仕事」の合間に得るものが「余暇」だったし、その余暇の使い方としての選択のひとつが「娯楽」でしたからね。
「どうすんの?」と訊かれても、やっぱり「どうにかするし、どうにもしない」が答えになっちゃいますよねえ。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。