なんの役にも立たなそうなことに没頭する楽しさ
2021.04.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。子ども時代の、何かを覚えたりできるようになるための学習って、ただ遊んでるだけでしたよね。「なにかの役に立つ」とか考えずに、ひたすら楽しくて没頭していました。それが大人になるにつれ失われていきます。余裕がなくなるからなのでしょうね。
以前は忙しくしてることが嬉しかったんですけどね
鳴りを潜めているだけなのかも知れませんが、セミリタイアしてから自尊心や承認欲求みたいなものがなくなっているような気がします。
それはそれで「傍からは腑抜けたオッサンにしか見えないのだろうな」という気がして、少々問題があるような気もしますが…。
ほんの数年前まで、忙しくしていることで「自分は大切な存在である」と感じ、それを嬉しく思っていました。
仕事を通じて、活躍の場を与えられることが生き甲斐だったんですよね。
そのころには感じていなかったのですが、今から思えば心にも頭にも余裕がなくなっていたような気がします。
自分の得になりそうなこと、何かの役に立ちそうなことにばかり目が行ってたんですよね。
当然、僕なりには正しい研鑽を積んでいたつもりだったし、とくに間違ったことをしていたつもりでもないんですけどね。
(参考:職業人時代。僕は役に立つ知識ばかりを得ようとしていた)
後知恵ですが「もうちょっと、余裕を残しておくべきだったなあ」とは思っています。
余裕がないと、無駄なことができないんですよね。
人との出会いからも、岐路における選択からも「遊び」みたいなものが失われてしまうのですよ。
忙しさから得られる自尊心の価値がどんどん高まっていって、依存症のような状況になっていたような気もします。
だから「焼きの回った」自分に耐えきれなくなって、無職になることを選んだんですけどね。
今はこうしてスッキリしたようなことばかり書いていますが、これからどういう変化をするのかは想像がつきません。
ただ遊んでるだけだった
考えてみれば、人が「役に立ちそうなこと」をしたくなるのなんて、当たり前なんですよね。
子供の頃から、進学やいろんな試験に向かって学習をしていました。
成績を上げるため、誰かとの競争に勝つためにやってたんですよね。
幼少期。言葉を覚えて、本を読んだり、歌を歌ったり、踊りを踊ったりするなんていうのは、とくに「役に立ちそうなこと」のためではありませんでした。
ただ、遊んでるだけだったんですよね。
木に登れるようになったり、鉄棒でいろんなことができるようになったり、虫や動物の名前を覚えたり、川を飛び越えられるようになったのもそうですね。
だんだんと大きくなるにつれて「遊んでるだけ」のことが「役に立てるため」に変わっていくんですね。
中学校から始めたバレーボールにしても、社会人になってから興味を持ち始めたデザインも、最初は「遊び」だったのです。
上手になったり、知識が増えたりすることが単純に楽しかっただけなんですよね。
それが、バレーボールは「絶対優勝」って言いながら練習するようになってたし、デザインに関しては職業になってしまいましたからね。
社会人になってまで残り続けた「ただ遊んでるだけ」のことって、読書くらいのものでしょうかね。
いっときゲームにハマっていた時期もありましたが、すぐに飽きて早々に離脱しちゃいましたしね。
楽しみとして向き合う知識
このブログでも、過去にもちょっと触れましたが、僕はいま「第二種電気工事士」の試験を受けるために勉強をしています。
知識と技術にはがあ興味がありますが、職業には関心あるわけではありません。
首尾よく合格したとしても「なんの役にも立たない」資格なのです。
秋には「基本情報技術者」の試験を受けてみようと思っています。
これまた「ITエンジニアの登竜門」と称されている資格で、僕のようなオッサンが合格しても何が起こるわけでもありません。
ただ「楽しみ」としてやっているのです。
職業人時代に「役に立てるため」にやっていた学習がすべて、つまんなくて苦痛だったのか? と問われれば、そんなことはありません。
そこそこ楽しかったからこそ継続できたのです。
でもどこかしらに圧迫感があったんですよ。
おそらく他人(他社)との比較でしょうね。
周囲で使われている、流行り始めた、技術や手法が気になって仕方なくて、それが学習のモチベーションになってた部分が大きかったのですよ。
無職になって、そういう部分が取っ払われることで「楽しみ」成分だけが残されたので、学ぶことがますます心地よくなってきています。
「なんの役にも立たなそう」なことが単純におもしろいのです。
没頭しています
もしかしたら職業人時代よりも長い時間着席しているかもしれません。
前述のように、わりとすぐに飽きてしまいましたが、一時期ゲームにハマっていた時期がありました。
スーパーファミコンで、ドラクエやファイナルファンタジーをやっていた時代ですから、30年くらい前のことですね。
僕の家に、まだテレビがあったころです。
その、ゲームにハマっていた頃の連休が続いている感じです。
こうしてブログを書いて投稿して、日によっては朝ランを終えて入浴し、すぐに過去問サイトを開いて、1日中解き続けています。
学校へ通っていた時代よりも、文房具を消費しています。
(参考:数十年ぶりに、MONO消しゴムを買いました)
「もう、手書き文字とか書かないっしょ」とか言っていましたが、ウソでした。
図面を書きながら計算式を作っていくような作業、横一列じゃ済まない数式を書くような作業は、手書きが一番効率的です。
なんとなく、朝ランに近い感覚かもしれません。
同様に、筋トレにも、楽器の練習にも、釣りやゴルフにも近いのかもしれません。
「そっか。こういうのを趣味っていうのか」みたいなことを感じ始めています。
趣味で1日の大半を費やすっていうのもどうかな? とも思うのですが、そのためにセミリタイアしたんですもんね。
このへんのこと、もっとイメージしていることはあるのですが、なかなか上手に言語化できていません。
これから繰り返し書き続けると思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。