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ずいぶんと愚痴から遠ざかってる

2021.04.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

愚痴や悪口って、あまり好ましくないものとされてます。でも、みんな生活しているとはけ口を求める場面ってあるものなのです。無職になって愚痴から遠ざかるとスッキリします。でも、完全に失ってしまうのも、バランスが悪いような気がするのです。

言わなくなると、聞かなくなる

愚痴でも、悪口でも「どうせそんなの、できっこないよ」みたいなネガティブな言葉でもなんでもいいのですが、最近そういうものから上手く距離を取ることができてるように思います。

概ねスッキリしています。

たぶん、ネタがないんですよね。
無職ですし、人と会わない生活をしていますからね。

過去に似たような体験をしたことがあります。
もう四半世紀も前のことですが、それまで勤めていた会社を退職し、フリーランスになって自分の会社を設立したときです。

サラリーマン時代は、いつも愚痴を言ってましたね。
「上司が気に入らない」「やり方が悪い」「オレがこんなにも良い提案をしてるのに…」みたいな、至るところで見受けられるアレです。

そのときは「まっとうな批判」だと思ってるし「仲間と認識を共有」しているつもりだったりしますけどね。

フリーになったら言わなくなるのって当然ですよね。
だって、それらすべて自分がやってることになっちゃうんですもん。

その代わりに「なんか上手く行かないな」とか「取引先の対応。ありゃなんだ」みたいなことは数え切れないほどですが、あまり口にしようとはしませんよね。

周りの人たちから「あの人、文句ばっかで付き合いにくいよね」って思われたくありませんからね。
自制していた部分もあります。

自分がそういう感じになると、周囲の人たちが愚痴を言わない人たちだらけになるんですよ。
もちろん、自分を含めて「完全に」じゃありませんけどね。「おしなべて」「傾向として」くらいの感じです。

「やめる」の効果

単純に愚痴や悪口を言わない/聞かない人間になったのか? ネガティブな感情の放出先が変わっただけなのかはよく分かりません。

自分でもはっきりとわかるくらいに「愚痴でストレスを発散する」ような行為に不快感を感じるようになるんですよね。

今は、あまり他人と寄り合って愚痴を言ったり聞いたりするような場がありませんから、特殊事情下にあるような気もしますけどね。

僕は無職なのですから、すべての時間を自分の自由にできるわけです。
気に入らないことはすべて自分のせいですから、愚痴の言いようもないんですけどね。

おそらく「フリーランスになった」「無職になった」の『なった』の部分よりも、「サラリーマンをやめた」「職業人をやめた」の『やめた』の部分の影響が大きいように感じています。

同じことを長くやってると、上手に掃除できていなかったものが溜まっちゃってるんですよね。
「しょうもない拘り」とか「かつての自分が決めた方針」とかね。

そういうのって、知らないうちにストレスになっていて「はけ口」を求め続けるようになっちゃってるんですよね。
そのひとつが「愚痴」なんだろうと思うのです。

なので、いったんゼロに戻すと、上手いこと解消されるんですよね。
一瞬なのか、長期間続くものなのかは謎ですけどね。

さほど愚痴を否定する派でもありません

僕はさほど「愚痴」について否定的ではありません。
そりゃ、時間を共有している人が、四六時中「愚痴」ばっか言ってる人だったら、辟易して「こいつとは距離置こう」って思いますけどね。

人間だれしも適度なガス抜きって必要だし、そこに本音とか、目指してるものみたいなのが見え隠れして「いい話聞いたな」って感じることだってありますからね。

前述のように、僕は自制しているつもりですし、こうしてブログ記事にしているように、遠ざかってる感覚はあります。
でも、人によっては僕のことを「あいつ、愚痴しか言わないな」と評しているかもしれないのです。

まったく言わないわけでもありませんからね。

ただ、延々と続く恨み節のような愚痴は、言うのも聞くのも不快です。
基本的に愚痴の効能は「ガス抜き」なのですから、どこかしらに「抜け」というか、救いの部分が欲しいのです。

同様に、愚痴や悪口がエンタメ化している場面もなかなか苦痛ですね。
そういう話で盛り上がってる一角にいる場合もないわけじゃありませんけどね…。

セミリタイアして失ったもの

一般的に「愚痴」は、良いものとして扱われていません。

むしろ、控えなければならないし、慎むべきものだと思われています。
もちろん僕も、そう思っています。

先日「セミリタイアして失ったもの」という記事を投稿しました。
セミリタイアしてから「競争心」とか「達成感」とか、そういうものを失ったような気がしていて、それが良いことなのか悪いことなのか、自分でも折り合いがついていないフェーズなのです。

同様に「愚痴」とか「嫉妬心」「虚栄心」のような、良くないとされてきたものも、まるっきり無くしちゃうのもつまんないような気がするんですよね。

こうして、毎朝ブログで書いているように、セミリタイアしてスッキリしているのは紛れもない事実なのですよ。
長年溜まった垢を擦り落としているような感じがしています。

反面、エネルギーを失ってる感覚もあるんですよね。
加齢のせいかもしれませんけどね。

「そのうち、意図的に娑婆っ気を取り戻すフェーズも要るんだろうな」と思っています。

自分ではポジティブに思考し、ポジティブな活動を始めたつもりでも、必ず反作用っておこりますからね。
どこかしらでガス抜きを必要とする場面もやってくるのだろうと思うのです。

今日書いたこの記事。もしかして、これって「愚痴」か?

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。