どうもしないけど、何もしないわけじゃない
2021.04.13
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。セミリタイアしたよっていうと、かなりの確率で「これからどうすんの?」と聞かれます。これがなかなか困るのです。特に「何をやる」って決めない状態なので、いうなれば「どうもしないよ」が答えなのです。かといって何もしないわけでもないのです。
これからどうすんの?
セミリタイアを決めて、他人に話すようになった頃から言われ始め、実際にこうして、萩に移住してセミリタイア生活をしている今でも、言われがちなのが「これからどうすんの?」です。
まあ、自然とそういう流れになっちゃいますよね。
僕も逆の立場ならば、そんなふうな質問をするような気もします。
こんなこと、前にも書いたような気がしますが、ついこないだも言われたので、また書きます。
先日投稿した「この暇、苦労の末に作ったものなんだけど…」と似たような記事になるかもです。
わりと返答に困るのですよ。
一番しっくりくる答えは「どうもしないよ」なのです。
でも、そう答えるとなんとなく対話を拒否しているというか、突き放したような印象を与えてしまいそうだと思っているのです。
だから僕は、なんとなく伝わりそうな「古い家を買って、DIYしながら暮らしたい」とか「職業人時代に関心あったけど、なかなかできなかったことを頭も身体も動くうちにやっておきたい」みたいな説明をすることにしています。
どちらも、このブログでもテーマにしたことがありますし、嘘ではなくて本当にやりたいことなのです。
でも、これらのことがやりたいからセミリタイアしたのか? というとちょっと違うんですよね。
部分集合に過ぎないのです。
そして「やりたい」と決めたことを、タスク化して順々にこなしていくかというと、そんなわけないのです。
そんな状況から逃れたくてセミリタイアしているのですから。
しばらくボーッとして過ごすよ
「なんで? どうして? たとえば?」みたいに延々と疑問を投げかけてくることが予想される人には、「何もしない時間がいちばん贅沢だから、ボーッとして過ごすよ」なんて返答をすることもありました。
「なんで?」って聞かれても「なんで? って考えない時間を過ごしたいんですよ」。
「たとえば?」って聞かれても「たとえば? って考えない時間を過ごしたいんですよ」。
って、フォーマットで返事できますからね。楽なのですよ。
でも、実はこれが一番しっくりくる答えだったりもするんですよね。
前項でも書いた「どうもしないよ」なのです。
「そんな生活、つまんないしすぐに飽きちゃうでしょ」も言われがちです。
僕もそう思います。
だから、何もしないわけがないのです。
「ボーッと」はするけれども、し続けるわけでもないのです。
誰かを好き、何かを好きって気持ちは、そうそう品切れになるもんじゃありません。
誰かを好きになって「この人、面白いことやってるな。自分もやってみよう」と思ったとき、それを妨げる何かを事前に排除するために「ボーッと」しているのです。
「やっぱりやめた。つまんない」と思ったら、また「ボーッと」した状態に戻るのです。
職業人時代よりも思考は活性化しますね
こうして、セミリタイア人になってか1年以上が経過しているのですが、考えることは職業人時代よりも多様化しているように感じます。
いちいち、仕事の役に立つかどうかなんて考える必要がなくなったので、箍(たが)が外れたような気がしますね。
(職業人時代。僕は役に立つ知識ばかりを得ようとしていた)
というか、セミリタイアしてはじめて「仕事をしてたときには、それなりに思考に制約を課してたんだなあ」と気付いた次第です。
その当時は「おれはフリーランスだし、好き勝手にものごとを考えてるぜ」なんて思ってたんですけどね。
そんなもんですよね。
今はすべてのことにおいて、考えてもいいし考えなくても良いのです。
ただし、ルール上決められたことは別ですよ。「税金? そんなこと考えたくな〜い」は通用しないのです。
やることだってそうですね。
最低限の決まりきったことはやらなきゃいけませんが、あとはやろうがやるまいが自由なのです。
だから「セミリタイアしてどうすんの?」と聞かれても「どうもしないよ」と答えるしかないのです。
「そのときどきで、思いついたことをやるよ。つまんなかったらやめるよ」なのです。
人の考えることなんて、変わり続けるのです
ずっと「一度口にしたことはちゃんとやれ」だの「行動に一貫性を持たせろ」だの、言ったり言われたりしてきました。
でも、そんなわけないんですよね。
自分も環境も変わり続けてるんですもん。
こうしてせっかく始めたセミリタイアだってやめて、また働き始めるかもしれません。
その余地があるから「セミ」って付けてたりするんですけどね。
自分に起こる変化に柔軟に対応し続けたいのです。
やろうと思ってることは、増えてきています。
何かひとつのことに関心を持ってやり始めたら、それが呼び水となって複数の「やりたい」が生まれますからね。
その代わり、以前思っていた「やりたい」が奥の方に押しやらてるという現象も起きています。
でも、誰に監視されてるわけでも評価されるわけでもなく、そのへんも自由でいいのがセミリタイアなのです。
「どうもしないよ」なのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。